2023年9月24日聖日礼拝

動画(46分51秒)

聖書 サムエル記第二章8節〜17節
説教 「我が王に仕える」
説教者 エドウィン・ウォング師


今月の聖句

ヨハネの黙示録21章3節〜4節

見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。


今週の聖句

ヨハネの手紙第一3章16節

キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。


今週の詩篇の黙想

詩篇141篇

  1. 141篇は夕べの祈りです。一日の戦いを終えて神様の守りを感謝する祈りです。「私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。」(2節)詩篇記者は夕べに感謝の祈りをささげています。周囲の無理解、いじめ、迫害、理不尽な要求、正義が捻じ曲げられている社会での一日を送り、罪に挑発されながらも、信仰を守った人の夕べの祈りです。祈りが愚痴とならないように願い、良い香りの感謝のささげものとなるようにとの祈りです。香水はいい香りです。ナルドの石膏のつぼを割った時、部屋中いい香りでいっぱいになりました。感謝のことば、喜びのことば、前向きのことばは心にいい香りを届けます。夕べの祈りが、怒りや不満やつぶやきであるなら、いい香りの祈りではありません。一日、主を見上げて戦い、夕べにはいい香りの感謝と賛美の祈りがささげられるように、神様の恵みへの感謝の応答が出来るように、朝、祈って出かけましょう。夕べには、主の恵みを数え、捜し、心に思い浮かべて、感謝のささげ物、賛美のささげ物をささげています。

  2. さらに夕べの感謝の祈りは「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください。私の心を悪いことに向けさせず、不法を行う者どもとともに、悪い行いに携わらないようにしてください。私が彼らのうまい物を食べないようにしてください。」(3節)と霊的成長を祈る祈りに発展します。周辺で如何に罪多き言葉が飛び交っていても、その挑発に乗ることなく、私の口に見張りを置いてください、くちびるの戸を守ってください、悪の挑発、誘惑に乗らないように守ってくださいと祈っています。

  3. 「正しい者が愛情をもって私を打ち、私を責めますように。それは頭にそそがれる油です。私の頭がそれを拒まないようにしてください。彼らが悪行を重ねても、なおも私は祈ります。」(5節)忠告、叱責を受けることを通して、さらに自分を聖なる者へと導いてくれるようにと祈っています。朝の祈りをささげて、一日の働きを終え、今晩も感謝の香り良き祈りがささげられるように、主を仰いで歩みましょう。シャローム。

2023年9月17日聖日礼拝

動画(39分12秒)

聖書 創世記43章1節〜15節
説教 「主に委ねる信仰」
説教者 高橋博師


今月の聖句

ヨハネの黙示録21章3節〜4節

見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。


今週の聖句

ヨハネの手紙第一4章9節

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。


今週の詩篇の黙想

詩篇140篇

  1. 今日は詩篇140篇からの黙想です。1節「暴虐の者から、私を守ってください。」4節「主よ。私を悪者の手から守り、暴虐の者から、私を守ってください。」苦悩の最中からの叫び、祈りであります。ダビデは多くの苦悩と戦ってきました。ゴリアテとの戦い、妬みから殺意に燃えるサウル王からの逃亡。王になってからも子供たちの争い、アムノンがタマルを辱め、アブシャロムがアムノンを殺害。アブシャロムは父ダビデに反旗をひるがえす。ダビデの将軍ヨアブはアブシャロムを殺害。周りの罪、又自分の罪との戦いの生涯でした。この罪が一部の極悪な人のものではなく、人はみなアダムにあって罪人となっているので、すべての人は「そのくちびるの下には、まむしの毒があります。」とパウロはこの詩篇140篇3節をローマ書3章で引用しています。すべての人は罪をおかしたため、神の栄誉を受けられなくなっていると語っています。しかしパウロはそこでとどまらずに、「ただ神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです」とキリストの贖いを宣言しています。

  2. 詩篇140編7節で「私の主、神、わが救いの力よ。あなたは私が武器をとる日に、私の頭をおおわれました。」と告白しています。あたまを覆われました、と告白していることは、ヘルメットやかぶとで頭がおおわれることです。エペソ6章17節では「救いの兜をかぶり」と頭を救いで守ってくださる、救いで覆ってくださることが約束されています。戦いの日には矢が雨あられと飛んできます。平和な時代の今日においても、誘惑のことばが、中傷する言葉が、不信仰にいざなう言葉が、中傷する者、サタンからひっきりなしに飛んできています。救いの兜をしっかりとかぶって頭を救いでしっかりと覆っていれば大丈夫です。

  3. それに対して10節では「燃えている炭火が彼らの上にふりかかりますように。彼らが火の中に、また、深い淵に落とされ、彼らが立ち上がれないようにしてください。」と救いの兜をかぶっていないものの悲劇です。自分が発した非難が自分に降りかかっていきます。救いの兜で私たちの頭をしっかりと覆っていただいて、誘惑に負けず、神様のことばで満たされて、信仰の戦いの馳せ場に向かいましょう。シャローム。