2024年1月21日聖日礼拝

動画(50分38秒)

聖書 使徒の働き16章11節〜15節
説教 「我らの主、イエスキリスト」
説教者 高橋博師


今月の聖句

マタイの福音書16章18節

わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。


今週の聖句

使徒の働き16章31節

主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。


創世記からの黙想 創世記3章

創世記3章からの黙想です。「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。」(1章31節)2章では、アダムに神様との交わりの喜び、地を治める労働の喜び、結婚、家庭生活の喜び、3つの喜びをお与えになりました。創世記3章は、罪が人類に入ってきたため、この3つの喜びが破壊され、神様がわからなくなりました。労働が苦役となり、結婚、家庭生活が愛と喜び赦しではなく、力や利益や快楽の手段に堕落してしまいました。人間が罪に堕落した直後から神様は救いの計画を立てておられます。「彼は、お前の頭を踏み砕き、お前は、彼のかかとにかみつく」(15節)女の子孫であるイエス様は十字架でかかとに釘を打ちこまれながらも、サタンの頭を踏み砕いてくださいました。サタンは頭を踏み砕かれましたが、イエス様の再臨の時まで、断末魔の働きをして、ひとりでも多く堕落させようと必死にうごめいています。21節では、神様はイチジクの葉っぱの衣の代わりに皮の衣をアダム、エバに与えてくださいました。走っても、労働をしても壊れない皮の衣が与えられました。皮の衣を作るためには、動物が殺され血を流さなければできません。人間の罪を覆うために、贖うために、やがて来てくださる救い主イエス様の十字架の救いが預言、約束されています。キリストを信じることはキリストを着ることであります。「キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。」(ガラテヤ3章27節)イエス様を信じ、罪から救われた私たちには、神様との交わりの喜び、労働の喜び、結婚、家庭生活の喜びが回復しました。神様との交わり、礼拝を土台として社会生活、家庭生活に与えてくださる主の恵みを享受しつつ歩みましょう。シャローム。

2024年1月14日聖日礼拝

動画(34分09秒)

聖書 使徒の働き9章1節〜9節
説教 「キリストにあって、新しい初め」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

マタイの福音書16章18節

わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。


今週の聖句

コリント人への手紙第二5章17節

ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。


創世記からの黙想 創世記2章

創世記2章からの黙想です。1~2節では、神様は天地万物の創造のみわざを終えられて休まれ、安息日をお定めになりました。人は6日働いて、7日目の安息日には礼拝をする、労働と礼拝の定めであります。「神である主は人をとり、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。」(15節)礼拝で霊的な力をいただいて、遣わされた所で、耕して実を結ぶ生活、リズムを楽しみましょう。「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」(7節)人は土から造られた肉体的な面と、いのちの息を吹き込まれて生きるものとなった霊的な面を持っています。衣食住という生活の基本は大切ですが、いのちの息を吹き込まれて生きている私たちは、肉体の満足だけで満たされない存在です。主を礼拝する、主と交わる、主に生かされることを持って始めて全存在的な喜び、満足を持って生きることが出来ます。「神である主は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。」(9節)神様はアダムに「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(16~17節)と命じられました。神の被造物である事、神から愛されていることの応答として善悪の木の実は食べないと言う契約関係で生きる道をアダムに示されました。「また、神である主は言われた。人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」(18節)神様はアダムにふさわしいパートナー、助け手をお与えになりました。「神である主は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。」(21~22節)アダムに必要不可欠なパートナー、助け手を主はお与えになりました。アダムの妻エバは助け手と呼ばれています。あれば便利という意味での助け手ではありません。右の靴に対して左の靴、左右そろって靴の役割が果たせる様な意味での助け手。必須不可欠な存在がパートナーです。「そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。」(25節)二人の間には秘密がありません。何を話ししても、何をしても否定されることがない全き交わりの中を二人は生活していました。人類堕落前の、本来の人の生きる姿、人の原点が描かれています。