2023年8月27日聖日礼拝

動画(53分01秒)

聖書 創世記41章1節〜49節
説教 「高くしてくださる神」
説教者 高橋博師


今月の聖句

ヨハネの手紙第一4章10節

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。


今週の聖句

ペテロの手紙第一5章6節

「ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。


今週の詩篇の黙想

詩篇137篇

  1. 詩篇137篇からの黙想です。「バビロンの川のほとり、そこで、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた。」(1節)バビロン捕囚の悲しみを歌った詩篇です。「その柳の木々に私たちは立琴を掛けた。それは、私たちを捕え移した者たちが、そこで、私たちに歌を求め、私たちを苦しめる者たちが、興を求めて、シオンの歌を一つ歌えと言ったからだ。」(2~3節)詩人たちの悲しみが歌われています。神殿が破壊され、捕囚となり、子どもたちも捕えられて虐殺され、悲嘆のどん底にある時、バビロンの捕え移した者の宴の席で「主の恵みはとこしえまで」を歌わされた時、心が張り裂けるような痛みが伝わってきます。

  2. 5~6節では反省と悔い改めが叫ばれています。「エルサレムよ。もしも、私がお前を忘れたら、私の右手がその巧みさを忘れるように。もしも、私がおまえを思い出さず、私がエルサレムを最上の喜びをもってたたえないなら、私の舌が上あごについてしまうように」と祈っています。「エルサレムを最上の喜びにまさってたたえるように」ということは、神様を礼拝し、神様の臨在を覚え、神様のみ教えを「最上の喜び」と受け止めて礼拝を献げ、祈りをささげる強い決意です。それは、過去にエルサレムを、礼拝を最高の喜びとしていなかったことの反省です。神様より自分を大事にし、神様を礼拝することを第二、第三にしてしまっていた不信仰の悔い改めの詩篇です。バビロン捕囚は誰のせいでもない、自分たちが神様を最高の喜びとしていなかったことの悔い改めです。

  3. 7~9節はエルサレムがバビロンによって破壊されている時に「破壊せよ、その基まで」とあざけったイサクの子エサウの子孫のエドム人がエルサレムを助けることなくののしったことを思い出してくださいとの叫びです。バビロンはエルサレム攻撃中にエルサレムの女の子どもたちを岩に打ち付けて殺害した。そのことを覚えてバビロンに仕返しをする人はなんと幸いなことよ、とバビロンへの復讐呪いが歌われています。これはバビロン、エドムへの復讐、呪いではなく、私たちのうちにあるこのような罪の原理が示され罪の恐ろしさを知る祈りであります。この歌を歌ったときは、バビロンからエルサレムに帰って、苦難の中での神殿の再建でした。試練、苦難、患難のさ中にいても、神様を礼拝することを「最高の喜びと」してささげていけるように。苦難の中でも兄弟、仲間への愛を失うことのないように。苦しむ者をあざけるようなサタンの考えを岩に打ち付けて根絶を祈り求めましょう。シャローム。

2023年8月20日聖日礼拝

動画(53分01秒)

聖書 創世記40章1節〜23節
説教 「神のなさること」
説教者 高橋博師


今月の聖句

ヨハネの手紙第一4章10節

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。


今週の聖句

イザヤ書49章15節

女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。


今週の詩篇の黙想

詩篇136篇

  1. 本日は詩篇136篇の黙想です。26節までの詩篇です。「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。」(1節)と主の御名がほめたたえられ信仰の告白がされると「その恵みはとこしえまで」と会衆が信仰の応答を繰り返す詩篇です。交読分のようにリーダーと会衆が交互に礼拝で朗唱しています。会堂に響かせながら、あるいは巡礼の旅路において、「その恵みはとこしえまで」と野に響かせながら、高らかに歌っている様子を想像することができます。

  2. 1~3節では神さまの存在、力、ご性質をほめたたえています。神はいつくしみふかく、神の神であられ、主の主であられると神様の属性、御性質を覚えて告白して主をほめたたえています。4~9節では神様の創造のみわざを覚えて主をほめたたえています。ただ一人、不思議を行われる方、英知をもって天を造られた方、地を水の上に敷かれた方、大いなる光を造られた方、昼を治める太陽を造られた方、夜を治める月と星を造られた方、を「その恵みはとこしえまで」と賛美しています。私たちの祈り、賛美、感謝も、神様の存在、ご性質、創造の御業、そこに現れている神様のいつくしみ、愛、をほめたたえ感謝するように心がけたいと思います。

  3. 10~22節はイスラエルの歴史の中に働かれた神様の愛、赦し、摂理を思いめぐらして、感謝、賛美、礼拝をささげています。これは神様は、歴史の中で働かれる方で、祈りに答えてくださる方、英知とご計画をもってみわざを勧められる神様に大いなる賛美がささげられています。ここからは、私たち個人や家族の今までの生活に働いてくださった神様への感謝、教会を守り育て成長させてくださった神様への感謝をささげることが促されています。

  4. 23~26節においては、卑しめられた時にも御心に留められた主、敵から救い出された主、乏しい時にも食物を与えられる主に感謝がささげられています。25節の「主はすべての肉なる者に食物を与えられる。その恵みはとこしえまで」と主の祈りの「日ごとの糧を今日もお与えください」と祈る祈りと共通しています。今日も肉体のための食物、また霊的な糧を与えてくださる神様に大いなる感謝をささげて歩みましょう。