10月31日聖日礼拝

動画(1時間3分10秒)

シンガポールデイ
聖書 マタイの福音書6章19節〜21節
説教 「あなたの宝物はどこにありますか」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

ネヘミヤ記8章10節

主を喜ぶことは、あなた方の力だからだ。


今週の聖句

マタイの福音書6章21節

あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。


今週の詩篇の黙想

詩篇43篇1節〜5節

  1. 5節「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い、私の神を。」このことばは前の詩篇42篇で5節と11節で歌われた歌が43篇でも繰り返されています。このことから詩篇42篇と43篇は連続している詩篇と分かります。何かの問題でエルサレムから離れ都落ちをして流浪の旅をして、苦悩の中からの魂の叫びの詩篇です。

  2. 「なぜ」と言う疑問詞が2節、5節で繰り返されています。2節は神様への問い、5節は自分への問いです。都エルサレムを離れることは礼拝から離れ、教会から離れている状況です。病気、けが、入院などで礼拝を離れる時があります。転勤、出張、引っ越しなどで離れる時もあります。家族の問題、自分の失敗や挫折、罪や事件を犯したために礼拝から遠ざかる苦悩の時もあります。問題ばかり見ていた詩篇の記者は苦悩の中から神様に向かって「なぜ」「なぜ」と問うています。

  3. 問題に目を向けていた詩篇の記者はなぜと言いながらも目を神様に向け、神様に声をかけています。愛なる神は求める者の心を聖霊の光とみことばの真理を送り、思いを聖なる山、主の住まいへと導いてくださり、神の祭壇に導かれ、そこに献げられているいけにえを通して罪の赦しの喜びに導かれて、竪琴に合わせて賛美する信仰にまで導かれて回復しています。

  4. この地上の人生は戦いのあゆみです。天国は勝利の世界、安息の生活です。悪魔は隙あらば私たちをつまずかせようと虎視眈々と狙っています。ダビデも失敗しています。罪を犯してエルサレムにいながら、魂は神様から離れ、礼拝や祈りから遙か遠い離れた所をさまよっています。なぜと神様に目を向ける所から回復の道が始まっています。自分を責め続けないで、なぜと言うことばであっても主に語ることから回復の道が開かれて行きます。神を待ち望みましょう。

10月24日聖日礼拝

動画(33分08秒)

聖書 創世記23章1節〜20節
説教 「天の故郷を望む」
説教者 高橋 博牧師


今月の聖句

ネヘミヤ記8章10節

主を喜ぶことは、あなた方の力だからだ。


今週の聖句

ヘブル人への手紙11章13節

これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。


今週の詩篇の黙想

詩篇42篇1節〜11節

  1. 「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」と始まる詩篇42篇は賛美歌やゴスペルソングで慕われています。この詩篇42篇から詩篇第二巻が始まります。5節と11節はほとんど同じ言葉が繰り返されています。1~5節で歌った内容がバージョンアップして6~11節で繰り返されています。「神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。」と信仰の告白が高らかにされています。

  2. 詩篇の記者は試練の中でエルサレムの礼拝から離れて、ヨルダン、ヘルモン、ミツァルなど異教の辺境の地から祈り求めています。地理的に神の都、礼拝の場エルサレムから離れただけでなく、信仰的霊的に遠ざかってしまって、悔い改めの祈りを真剣にささげています。私たちも時には病、老齢化、失業などで慣れ親しんだ教会を離れ、それがきっかけで礼拝や主との交わりから遠ざかる危険もあります。

  3. 4節「私はあの事などを思い起こし、私の前で心を注ぎ出しています。私があの群れといっしょに行き巡り、喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群集とともに神の家へとゆっくり歩いて行ったことなどを。」数えて見よ主の恵み、つぶやきなどいかにあらん、と言う賛美歌があります。遠く離れたところで悔い改めの祈りをささげています。主の恵みを思い返すことは立ち返る大切な一歩です。

  4. 11節「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い、私の神を。」神を待ち望めと自分を励まし、なおも神をほめたたえると信仰の決意、告白をしています。交わりから離れることがあっても心の渇き、飢えを求める時、溢れるばかりに満たしてくださいます。