2025年10月12日聖日礼拝

動画(52分45秒)

証:フェイティン姉

聖書 使徒の働き21章1節〜15節
説教 「主のみこころがなりますように」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

ネヘミヤ記8章10節

主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。


今週の聖句

マタイの福音書6章10節

御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。


ルカの福音書15章 二人の息子を愛する父の物語

ルカ15章には失われたものの回復の三つのたとえで話しています。迷った小羊、なくなった銀貨、放蕩してすべてを失った弟息子の物語が語られています。イエス様はかつて4人の友に担がれて屋根からつり下ろされた男に、あなたの罪は赦されたと宣言され、男は癒やされ、立ち上がって床を担いで帰って行きました。それを見ていた取税人マタイは「わたしについて来なさい」と言うイエス様のおことばを聞いて、取税人の罪の床から立ち上がって、罪を振り払ってイエス様について行きました。イエス様はこの時「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」とパリサイ人、律法学者に語られました。このマタイの回心の時から少し後にイエス様は失われた三つのもの回復のたとえを語られています。肉体の医者であったルカはマタイからかパウロからか誰かからこの二つの物語を聞いて感動しています。ルカは15章で放蕩した息子を赦し、癒やす魂の医者なるイエス様の深い愛に感動して語っています。このルカ15章は三つの失われたものの物語でありますが、スペースの3分の2は帰って来た弟息子の話であります。放蕩した弟息子の悔い改め、救いの物語であります。その反逆した息子がまだ遠くにいたのに、見つけ出し、駆け寄って、赦して受け入れ、新しい着物を着せ、履き物を履かせ、手に指輪をはめ、最上の肉で祝宴をして、愛して赦す父親の無限の愛の物語であります。放蕩をしないで品行方正で父に仕えた兄はこの父の姿に怒り家に入って来ません。この15章は赦せない兄を愛し、切々と語る父なる神の愛の物語でもあります。パリサイ人、律法学者は罪人、取税人と一緒に食事をするイエス様を非難していました。父なる神様は帰ってきた放蕩息子を赦して、愛の祝宴に招いています。又家に入ろうともしない兄にも、優しく語っています。今日、私たちは礼拝という、霊の糧、みことばの糧の振る舞われる所に招かれている事を感謝しましょう。罪と放蕩で傷ついた息子が父の愛で癒やされて行きます。私たちもこの主の無条件の愛を受け、主の救いの道を歩みましょう。シャローム。