バイリンガルでの説教のお知らせ(英語と日本語)

注目

Announcing Bilingual Sermons!
(English & Japanese)

4月より、月に一度、第四日曜日の説教は、英語と日本語のバイリンガルとなります。

From April 2024, once a month, the 4th Sunday’s Sermon will be in given in English with Japanese translation. 

次回は4月28日です。(3月21日訂正:間違えて4月21日と表記しておりましたが、正しくは4月28日です。お詫び申し上げます。)

The next time is 28th April 2024.

2024年3月24日聖日礼拝

動画(40分38秒)

聖書 コリント人への手紙第一15章3節〜6節
説教 「最も大切な事」
説教者 高橋博師


今月の聖句

コリント人への手紙第一15章20節

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。


今週の聖句

ローマ人への手紙6章4節

私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。


創世記からの黙想 創世記12章

神様の裁きの大洪水の後、箱船から出て来たノアとその家族に神様は礼拝する使命を与えられました。ノアとその家族、セム、ハム、ヤフェテの家庭に子供たちが生まれ、洪水で荒廃した大地を耕しました。「ほむべきかな、セムの神、主。」セムは神の裁きの厳粛さを目の当たりに見ています。月日の流れは速く、セムの十代目の子孫、アブラムの登場する時代になりました。神様はアブラムに「あなたは祝福となりなさい」(2節)と命じておられます。洪水の後、箱船を出て祭壇を築いて全焼のささげ物を献げて信仰による再出発しましたが、やはりこの世界は罪との戦いでした。ノアはぶどう畑を造り、収穫したぶどう酒を飲んで天幕の中で泥酔し裸になる醜態をさらしています。カナンの父ハムはノアの醜態を治めようとしないで吹聴したために呪われる身となりました。バベルの人たちは神様から与えられた天然資源で建築技術を磨き、心は高ぶり、神様を無視して頂が天に届く塔を建てようと高慢になってしまいました。神様はこの高慢を裁かれ、ことばを混乱させ、人々は地の全面に散らされました。散らされた人々は神様の恵みからも散らされて「アブラハムとナホルの父テラは、昔、ユーフラテス川の向こうに住んでおり、ほかの神々に仕えていた」とその堕落ぶりがヨシュア記24章2節に記されています。ノアから10代経過したテラの時代にはセムの子孫も他の神々を拝むようになっていました。「主はアブラムに言われた。あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。」(12:1)と罪、不信仰の中からアブラムを召し、新しい出発が始まります。偶像に仕える親族を離れて、神様を礼拝する祝福を受け継ぐ家族として神様はアブラムを召し出されました。アブラムはセムから10代目。セムからアブラムまで、それぞれの人物の生まれた年、死んだ年を図表にしますと、なんとセム390歳の時にアブラムは生まれています。セムは600歳まで生きましたのでアブラムよりも長く生きています。アブラム75歳でハランを出た時にはペレグとナホル以外のアブラムの親族は全員、悲しいかな他の神々に仕えていました。アブラムはこの親族と決別して新しい出発をしました。ノアの時代は洪水で親族と分離して再出発しました。アブラムは祝福をもたらすために、旅立つことで親族と分離して祝福の地に向かいました。祝福の器になりましょう。

2024年3月17日聖日礼拝

動画(22分53秒)

聖書 マタイの福音書26章57節〜68節、27章1〜2節
説教 「トップニュース」
説教者 リュウ・フイイン師


今月の聖句

コリント人への手紙第一15章20節

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。


今週の聖句

ペテロの手紙第一1章25節

しかし、主のことばは永遠に立つとあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。


創世記からの黙想 創世記11章

「さて、全地は一つことば、一つの話しことばであった。」(1節)大洪水の後、ノアの子、セム、ハム、ヤペテから子孫が増え広がって行きました。人類はレンガを焼く技術、瀝青、アスファルトを使う技術を習得しました。シヌアルの地、今のクゥエートの近辺で原油が地表に湧き出ていて、そのアスファルトを建築に応用して、高い塔、建築物を作る技術を開発しました。石の代わりにレンガを焼く技術を習得し、瀝青というアスファルトは、粘土よりも粘着性があるので、レンガをつないで高い建造物を作ることができ、ジグラッドと呼ばれるピラミッドのような建造物を建てるようになりました。科学技術は神様からの賜物であります。粘土を高温で焼いて強度のあるレンガを作り出し、アスファルトからプラスチック、石油製品を作り出すことは、神様からの恵みの賜物であります。「さあ、我々は町を建て、頂きが天に届く塔を建て、名を上げよう。」(4節)罪ある人間は神の恵みを自分の功績、手柄にして、神様を無視して、高慢、傲慢になっています。18世紀からの科学技術の進歩、発明発見で文明は大変発展しました。レンガや瀝青から発展して、18世紀の産業革命では、鉄と石炭を使うようになり、蒸気機関を活用して、船舶や鉄道、工場が発展しました。20世紀に入ると瀝青を精製して石油、ガソリンを使う自動車、航空機が発展しました。20世紀の後半から核を分裂させる原子力のエネルギーを人類は利用しました。通信手段も、コンピューターの開発と大型化によって情報処理や伝達が高速化しました。残念ながら、神様の賜物によって便利になりながら、神様に感謝し、礼拝することがおろそかになり、自己中心になり、さらにもっと上の物質的満足を求めるようになっています。7節で神様は、彼らのことばを通じないようにしよう、とことばを混乱させました。神様抜きの自己中心、物質中心になった時代は、心が、愛が、ことばが通わない世界になってしまいました。罪の結果であります。イエス様の十字架の後、聖霊が下って、弟子たちは他国のことばを話し通じ合いました。十字架こそ敵意を廃棄され、二つのものを一つとして下さり、ことばが、愛が、親切が通じる世界を回復してくださっています。神様の賜物を受けていることを感謝し心の通い合う交わりを大切にしましょう。