8月1日聖日礼拝

動画(41分09秒):聖餐式2分21秒〜、説教10分23秒〜

聖書 創世記16章1節〜16節
説教 「あなたはどこへ行くのか」
説教者 高橋 博牧師


今月の聖句

歴代誌第二16章9節

主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。


今週の聖句

ガラテヤ人への手紙4章27節

「喜べ。子を産まない不妊の女よ。声をあげて呼ばわれ。産みの苦しみを知らない女よ。夫に捨てられた女の産む子どもは、夫のある女の産む子どもよりも多い。」


今週の詩篇の黙想

詩篇30篇1節〜12節

  1. 詩篇30篇は表題には「家をささげる歌」と書かれています。この詩篇を読むと詩篇記者は病、しかも死ぬかもしれない重病の中でこの詩篇を歌っています。「私の神、主よ。私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。主よ。あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私が穴に下って行かないように、私を生かしておかれました。」この2~3節を読むと「よみ」とか「穴」という言葉が使われていますから死ぬ病の床からの回復の感謝の詩篇です。

  2. 6節には「私が栄えたときに、私はこう言った。私は決してゆるがされない。」この詩篇の記者が栄えている時、決して揺るがされることはないと高ぶっていました。あとで気づいたことですが栄えているのは「主よ。あなたはご恩寵のうちに、私の山を強く立たせてくださいました。あなたが御顔を隠され、私はおじ惑っていましたが。」と7節に書かれています。栄えていたのは自分の力ではなく主の恩寵、恵みによって私の山、私の生活、人生を強くしてくださっていましたが、主が御顔を隠される、恵みが届かなくなるとおじ惑い、死の床に陥ってしまいました。

  3. 詩篇の記者はこの死の床から「私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。」と告白しています。高ぶりを悔い改めた詩篇記者は5節「まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」と賛美をしています。11節では「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。」

  4. 家をささげる歌が表題です。家とは建物ではなく、家庭、家族の交わり、自分の生活、人生そのものが家であります。主の恩寵が支えてくださる信仰にたって、病める時も、豊かな時も、生活のすべてを主におささげしていきましょう。

7月25日聖日礼拝

礼拝説教(32分30秒)

聖書 創世記15章7節〜21節
説教 「神の祝福の契約」
説教者 高橋 博牧師


今月の聖句

ヘブル人への手紙13章15節

ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。


今週の聖句

エレミヤ書31章33節

彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。─主の御告げ─わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。


今週の祈りのガイド

詩篇29篇1節〜11節

  1. 毎週詩篇を1篇ずつ味わっています。今日は詩篇29篇です。「力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力とを主に帰せよ。御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。」(1~2節)「力ある者の子ら」とは誰を指しているのでしょうか。自分の力を誇り、高ぶり、神様の前にヘリ下っていない人を指しています。ここでは「主に帰せよ」が3回繰り返されて4回目に「主にひれ伏せ」とリズミカルにまとめています。高ぶらないで、自分の手柄にしないで、栄光と力をいつも主に帰していきましょう。

  2. 3~9節に「主の声」が7回も繰り返されています。これも高ぶった人間に対するメッセージです。大自然を創造し、支配しておられる神は、自然現象を通して高ぶらないように、人間の無力さを知って、主に従うように語られます。津波や洪水、雷鳴や火山の噴火、台風のもたらす暴風、これらは人間に無力さを教え、神の前にヘリ下ることを教えます。暴風で大森林が裸になっても、人類が神の前にへりくだるなら、すべての被造物は主に「栄光」と叫び賛美をささげます。

  3. 「主は、大洪水のときに御座に着かれた。まことに、主は、とこしえに王として御座に着いておられる。主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。」大洪水の後、ノアとその家族は祭壇を築き、礼拝をして再出発しました。モーセの時、紅海が分かれて民は乾いた海底を主の名を叫びながら渡って行き、渡河後、民は心から主を礼拝しました。大洪水のような厳しい水による神の裁き、審判の時もへりくだり、悔い改める民を祝福される主を信じて、私たちも裁きの時、主を呼び求め悔い改めて歩みましょう。