2024年7月21日聖日礼拝

動画(37分02秒)

聖書 コリント人への手紙第一12章12〜27節
説教 「キリストのからだなる教会」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

マルコの福音書10章44節〜45節

あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。


今週の聖句

コリント人への手紙第一12章27節

あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。


創世記からの黙想 創世記29章

ヤコブは旅を続けて、東の人々の国へ行った。」(1節)母リベカの寵愛を受けたヤコブは過保護な環境から、一転、伯父ラバンを訪ねる荒野の一人旅となりました。兄エサウを二度までだまして、財産相続の長子の権利、霊的祝福を継承する祝福の祈りを奪い取りました。殺意に燃えるエサウから逃げるためにヤコブは一人旅の出発。「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(28章15節)素晴らしい約束をベテルでいただきました。この約束を信じ、母リベカの兄ラバンを訪ねて旅を続けます。野の井戸につくとラバンの知り合いに出会い、ラバンの娘ラケルが羊の群れを連れてやって来ました。「ヤコブが、自分の母の兄ラバンの娘ラケルと、母の兄ラバンの羊の群れを見ると、すぐ近寄って行って、井戸の口の上の石をころがし、母の兄ラバンの羊の群れに水を飲ませた。そうしてヤコブはラケルに口づけし、声をあげて泣いた。」(10~11節)ヤコブはラケルを一目ぼれで好きになり、結婚を申し込みます。ヤコブは7年間ラケルの結納金のために働きました。待望の7年が終わった時、ヤコブが請求してやっと伯父ラバンは結婚に応じました。狡猾なラバンはヤコブにラケルではなく姉のレアを与えました。翌朝、日が上って妻の顔を見ると何とラケルではなくレアでありました。ヤコブのショックはいかばかりであったでしょう。抗議をするとラバンは涼しい顔をして「もう7年働いてください、ラケルも上げますから。」ヤコブは14年間、ラバンのもとでただ働きをしました。父イサクから祈っていただいた霊的祝福の祈りの結果がこのようになりました。エサウをだましたヤコブが、伯父ラバンにだまされ裏切られ、ヤコブの信仰の訓練が始まっています。レアもまたヤコブの愛を求めて次々と出産をしています。4人目が生まれた時、ユダと名づけて、「今度は主をほめたたえよう」と祈っています。レアも人からの愛を求める生き方から、神様をほめたたえる生き方に変わっています。人に愛されなかったレアでありますが、神様をほめたたえる信仰からユダが生まれ、やがてこのユダから、ダビデが生まれ、イエス様につながって行きます。このような形でヤコブの霊的祝福が実現して行きます。私たちの人生、人が愛してくれない、わかってくれない、そんな時でも、神様をほめたたえて歩める者にならせていただきたいと思います。シャローム。

2024年7月14日聖日礼拝

動画(30分16秒)

聖書 ヨハネの福音書3章22〜30節
説教 「主役はイエス・キリスト」
説教者 ナタナエル・ガウブ師


今月の聖句

マルコの福音書10章44節〜45節

あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。


今週の聖句

ヨハネの福音書3章30節

あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。


創世記からの黙想 創世記28章

イサク、リベカ、エサウ、ヤコブが登場し、彼らの信仰、生き様が見られます。リベカは目の見えない夫イサクをだまし、愛する息子ヤコブのために祝福を奪い取ります。ヤコブのためには何でもする、行動的であるがブレーキのない女性。エサウがヤコブを憎んで殺意を持っていることを知ると、その問題の解決をしないで、ラバンの娘の中から妻を得るようにと、ヤコブを遠くハランの地に送り出しています。夫イサクは妻リベカの言いなりになっています。リベカとヤコブが共謀して、イサクとエサウをだまして祝福を奪い取ったことや、それに対してエサウが根に持っていることに対しても、何の指導もありません。この家庭には最も大切な霊的な会話が欠如しています。神様のみこころを求め、分かち合い、自分の自我や願望に生きるのではなく、神様の御声を聞いて従い、不信仰を反省、悔い改めが大切です。おいしい料理、ラバンの娘の中から美しい妻をめとりなさい、といううわべのことをイサクは話題にしています。イサクはエサウにも、お前は長男だが、兄は弟に仕える、という神様の御声があったことや、お前自らも一杯のレンズ豆で長子の権利を売ってしまったではないか。だから神様はこのようになさった、と神様のなさることを受容する会話は残念ながら欠落しています。10節からヤコブの一人旅が始まっています。過保護の母リベカと分かれて一人で知らない道を旅して、叔父ラバンのところに向かっています。ベテルに来た時、日が沈んだので野宿をすることにしました。兄エサウが怒って殺しに来る恐れを持ちながら不安な一夜を過ごしています。今までリベカの保護の中にいたヤコブは今晩一人で神様と交わる初めての経験をしています。神様の御使いがはしごを上り下りしている情景を夢で見ました。かたわらに立っている主を見ました。「わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」と神様はヤコブに語られました。「まことに主がこのところにおられるのに、私はそれを知らなかった」「こここそ神の家に他ならない。ここは天の門だ。」(16節)ヤコブは初めて神様と交わって、神様の御声を聞いています。18節で信仰の応答として、礼拝をささげています。「すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます」(20節)奪う信仰、受ける信仰からささげる信仰、応答する信仰へ成長しています。家族や友人の意見を聞きながらも、神様との個人的な交わり、個人的な祈り、語って下さる主を大切にしましょう。シャローム。