2026年4月26日聖日礼拝

動画(54分34秒)

聖書 使徒の働き28章11節〜31節
説教 「良い結末」
説教 タン・ショーン師
通訳 リュウ・ホイイン師


今月の聖句

マタイの福音書16章16節

あなたは生ける神の子キリストです。


今週の聖句

ヘブル人への手紙12章1節

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。


【聖書人物からの黙想 交わりの人 ピリポ】

12使徒と言えばペテロを第一番に思い浮かべます。またペテロ、ヨハネ、ヤコブの3人をイエス様は身近において訓練されました。この3人に入っていませんがピリポは「わたしに従って来なさい。」とイエス様から直々に声をかけられ即座に従った優秀な弟子であります。ピリポという名はギリシャ語で「馬の友」という意味です。本来のヘブル語の名前を持っていたでしょうが友人はピリポさん、馬の友さん、と親しく呼んでいました。彼の人柄が人から好かれやすい、友と親しく交わる賜物の持ち主と思われます。イエス様に声をかけられると、直ぐに同郷の親友ナタナエルさん(バルトロマイ)に声をかけてメシヤに出逢ったよ、と声をかけています。ナタナエルが「ナザレからなんの良きものが出るだろうか」と否定した時も、友情を発揮して、「来て、見なさい」と続け、ナタナエルはイエス様を「あなたは神の子です。イスラエルの王です。」と告白してイエス様の弟子になっています。ピリポはアンデレとも親しかったようです。大勢の群衆がイエス様の話を聞いて、時刻が夕方になった時、イエス様はピリポを試しています。「どこからパンを買って来て、この人たちに食べさせようか。」なぜかイエス様はピリポを試しています。ピリポは現実的な回答をしています。200万円くらいのパンが必要です。こんな辺鄙な田舎では無理です。ピリポが困っているとき、友人のアンデレがピリポを助けます。「ここに大麦のパン五つと魚二匹を持っている少年がいます。」友情の人、交わりのピリポには困ったとき助けてくれるアンデレ始め兄弟たちがいました。ギリシャ人がイエス様に出会いたいと言ってピリポの所に来た時もアンデレはピリポを助けています。友情の人、ピリポに習い友情を大切にしましょう。シャローム。

2026年3月22日聖日礼拝

動画(48分57秒)

聖書 使徒の働き27章33節〜44節
説教 「人生の波に乗る」
説教 タン・ショーン師
通訳 リュウ・ホイイン師


今月の聖句

マラキ書4章2節

しかしあなたがた、わたしの名を恐れる者には、義の太陽が昇る。その翼に癒やしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のように跳ね回る。


今週の聖句

イザヤ書26章3節

志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。


【聖書人物からの黙想 アンデレ 1 どこにお泊まりですか】

アンデレはバプテスマのヨハネの弟子でした。バプテスマのヨハネはイエス様の来られる道備えの使命を持って宣教して居ました。「主の道を真っ直ぐにせよ、と荒野で叫ぶ声」であるとヨハネは宣言して、アンデレはこのヨハネの弟子となっていました。イエス様がヨハネから洗礼を受けられると御霊がハトのように天からくだり、天からの声がありました。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」アンデレの師匠のヨハネがイエス様の歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊」アンデレはこの出来事を見て、ヨハネの言葉を聞いて今までお世話になったヨハネ先生から離れて、イエス様を新たな師と信じてイエス様のあとをついて行くようになりました。自分についてくるアンデレにイエス様は「あなた方は何を求めているのですか」とお尋ねになりました。このイエス様の問いにアンデレはこたえに窮したのでしょうか。あなたの弟子にしてください、と答えられず、「どこにお泊まりですか」と尋ねています。神の小羊、メシヤ、救い主はどのようにこの地上に来ておられるのか、どんな生活をしておられるのか。ダビデ王の様に栄光輝く姿で来ておられるのか。メシヤはエルサレムの神殿をお住まいとされるのか。バプテスマのヨハネの紹介したメシヤ、神の小羊、イエス様はガリラヤに住み生活して、大工をしておられ、ユダヤの指導者の教えるメシヤの姿とは異なっている。どこにお泊まりですか、栄光の神の子、メシヤなるイエス様は貧しきこの世界に来て、罪人の友となってくださいました。その下ってこられた栄光のメシヤをしっかりと確かめたい、そんな願いから、「主よ、どこでお泊まりですか」とアンデレは尋ね、その貧しきイエス様の泊まっておられる所でアンデレはイエス様の弟子となり、共同生活を始める様になって行きます。貧しき私たちの心にお泊まりくださる主に感謝しましょう。シャローム。

2026年2月22日聖日礼拝

動画(41分46秒)

聖書 使徒の働き24章22節〜27節
説教 「神の憐れみ」
説教 タン・ショーン師
通訳 リュウ・ホイイン師


今月の聖句

詩篇147篇14節

主はあなたの地境(じざかい)に平和を置き最良の小麦であなたを満たされる。


今週の聖句

ペテロの手紙第二3章9節

主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。


【聖書人物からの黙想 マタイ2 立ち上がったマタイ】

マタイの回心の物語はマタイ9章、マルコ2章、ルカ5章に記録されています。3つの福音書の記事に共通点があります。マタイの回心の直前に中風の男の癒しの記事があります。二人とも立ち上がって、イエス様に従っています。中風の人は歩けないので4人の友に担がれイエス様のおられる家に来ました。人で一杯なので家に入れないでの仲間は屋根をはいでイエス様の所につり下ろしました。イエス様はこの中風男に「起きなさい」と命じられると中風男は癒やされ、立ち上がり、寝床を担いで家に帰りました。その直後にもう一人立ち上がった人物がいます。レビと呼ばれるマタイさんです。マタイさんは肉体的には健康です。どこへでも歩いて行けます。マタイはこの元気な足腰を使って何をしたでしょうか。取税人の仕事、自分の所有欲、金銭欲を満たすために元気な足腰を使って重税の取り立てを行っています。レビと言う名のレビ人ですから旧約聖書を良く知っています。律法の規定以上に取り立ててはいけない、孤児、やもめには親切にすることが旧約聖書に書かれています。マタイはそれらをかなぐり捨てて、ローマ帝国の権力を笠に着て同胞の弱者から強奪を繰り返す罪の床から立ち上がれません。イエス様はこのマタイに目を留められました。目と目が合ってイエス様は「わたしについて来なさい」と優しくお声をかけられました。このひと言で不思議なことが起りました。マタイの心を縛っていた金銭欲の鎖が解けて、マタイは何もかにもすべてを捨てて、立ち上がって、イエス様について行きました。中風男は病と絶望の床から立ち上がりました。マタイさんも罪、不正、強欲に縛られていた罪の温床と決別して立ち上がってイエス様の弟子となりました。今まで取税人として罪のために使っていた賜物を福音書を書くことに用いて、素晴らしいマタイ福音書を書き上げることが出来、以来2000年、新約聖書のトップバッタのマタイ福音書は多くの人を罪から立ち上がらせ、福音に仕える人に立ち返らせて来ました。イエス様のことばには人を立ち上がらせる力があることを信じ、みことばを信じて歩みましょう。シャローム。

2026年1月25日聖日礼拝

動画(44分51秒)

聖書 使徒の働き22章22節〜23章11節
説教 「表裏一体のパウロ」
説教 タン・ショーン師
通訳 リュウ・ホイイン師


今月の聖句

詩篇126篇5節〜6節

涙とともに種を蒔く者は喜び叫びながら刈り取る。種入れを抱え泣きながら出て行く者は束を抱え喜び叫びながら帰って来る。


今週の聖句

ペテロの手紙第一2章12節

異邦人の中にあって立派にふるまいなさい。そうすれば、彼らがあなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの立派な行いを目にして、神の訪れの日に神をあがめるようになります。


【詩篇91篇からの黙想 2 マナの会の学びより】

「彼がわたしを愛しているからわたしは彼を助け出す。彼がわたしの名を知っているからわたしは彼を高く上げる。
彼がわたしを呼び求めればわたしは彼に答える。わたしは苦しみのときに彼とともにいて彼を救い彼に誉れを与える。
わたしは彼をとこしえのいのちで満ち足らせわたしの救いを彼に見せる。」
詩篇91篇14~16節

詩篇91篇は「信頼の歌」と表題がつけられます。その信頼の深化、前進、内実化が歌われています。その頂点が14~16節です。1~2節では「いと高き方の隠れ場に住む者その人は全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。私の避け所私の砦私が信頼する私の神」と。そこから9節では「それはわが避け所 主をいと高き方をあなたが自分の住まいとしたからである。」主を隠れ家とした信仰から主を自分住まいとする信仰に成長しています。誰でも信じるだけで救われます。この素晴らしい信仰の内実化、生活化、信仰を、主の守りを生活の中で生かして行く、心の中の信仰が生活の中で具体化して行く成長を詩篇91篇では歌っています。14節からは「わたし」である主が主語になっています。詩人、主を信じている私たち、兄弟姉妹が彼と呼ばれています。「彼がわたしを愛しているから わたしは彼を助け出す。」(14節)主を隠れ家、避けところ」とした信仰から、主を住まいとする、主を日常生活の中であがめながら、祈りながら生きる、さらに主を愛する生活に発展しています。主を愛することは主をさらに知ることであります。主を知ることは主を呼び求めることに発展して行きます。主を愛することは、主を知ることから始まり主を呼び求めることに繋がります。主のなしてくださったことを顧みて主の恵みを知り、主を愛する信仰で歩みましょう。シャローム。