2023年9月17日聖日礼拝

動画(39分12秒)

聖書 創世記43章1節〜15節
説教 「主に委ねる信仰」
説教者 高橋博師


今月の聖句

ヨハネの黙示録21章3節〜4節

見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。


今週の聖句

ヨハネの手紙第一4章9節

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。


今週の詩篇の黙想

詩篇140篇

  1. 今日は詩篇140篇からの黙想です。1節「暴虐の者から、私を守ってください。」4節「主よ。私を悪者の手から守り、暴虐の者から、私を守ってください。」苦悩の最中からの叫び、祈りであります。ダビデは多くの苦悩と戦ってきました。ゴリアテとの戦い、妬みから殺意に燃えるサウル王からの逃亡。王になってからも子供たちの争い、アムノンがタマルを辱め、アブシャロムがアムノンを殺害。アブシャロムは父ダビデに反旗をひるがえす。ダビデの将軍ヨアブはアブシャロムを殺害。周りの罪、又自分の罪との戦いの生涯でした。この罪が一部の極悪な人のものではなく、人はみなアダムにあって罪人となっているので、すべての人は「そのくちびるの下には、まむしの毒があります。」とパウロはこの詩篇140篇3節をローマ書3章で引用しています。すべての人は罪をおかしたため、神の栄誉を受けられなくなっていると語っています。しかしパウロはそこでとどまらずに、「ただ神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです」とキリストの贖いを宣言しています。

  2. 詩篇140編7節で「私の主、神、わが救いの力よ。あなたは私が武器をとる日に、私の頭をおおわれました。」と告白しています。あたまを覆われました、と告白していることは、ヘルメットやかぶとで頭がおおわれることです。エペソ6章17節では「救いの兜をかぶり」と頭を救いで守ってくださる、救いで覆ってくださることが約束されています。戦いの日には矢が雨あられと飛んできます。平和な時代の今日においても、誘惑のことばが、中傷する言葉が、不信仰にいざなう言葉が、中傷する者、サタンからひっきりなしに飛んできています。救いの兜をしっかりとかぶって頭を救いでしっかりと覆っていれば大丈夫です。

  3. それに対して10節では「燃えている炭火が彼らの上にふりかかりますように。彼らが火の中に、また、深い淵に落とされ、彼らが立ち上がれないようにしてください。」と救いの兜をかぶっていないものの悲劇です。自分が発した非難が自分に降りかかっていきます。救いの兜で私たちの頭をしっかりと覆っていただいて、誘惑に負けず、神様のことばで満たされて、信仰の戦いの馳せ場に向かいましょう。シャローム。