7月11日聖日礼拝

礼拝説教(24分43秒)

聖書 出エジプト記3章1節〜14節
説教 「燃え尽きない柴」
説教者 高橋 博牧師


今月の聖句

ヘブル人への手紙13章15節

ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。


今週の聖句

ローマ人への手紙10章11節

「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」


今週の祈りのガイド

詩篇27篇1節〜14節

  1. 詩篇27篇は「主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。」と信仰の確信を告白しています。具体的には悪を行う者、私の仇、私の敵が私に襲いかかったとき、彼らはつまずき、倒れ、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない、私は動じないと不動の信仰の告白をしています。主は私の光、救い、とりで、と主への信頼がこの告白につながっています。

  2. 4節で祈っています。「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」敵の前でも動揺しない信仰を持つためにダビデは祈っています。主の家に住むことを祈っています。放蕩息子のような神の家族、主の家から飛び出さないこと、父なる神様の御手の中に留まることを祈っています。父なる神様の愛、力、保護の中にいることを思いめぐらして力をいただいています。

  3. 8節では「主よ、あなたの御顔を私は慕い求めます。」と祈っています。主の家に住むことを許されています。安息日には兄弟姉妹そろって礼拝の恵みに与りますが、礼拝が終わると私たちは使命の場所に神から遣わされて行きます。そこは戦いの場所であり、問題の山積する場所であります。そこにおいても見捨てることのない神様、母親の愛にまさる愛で守ってくださる神様を慕い求めることが勧められています。

  4. 11節で「主よ。あなたの道を私に教えてください。」と祈っています。平らな小道に導いてくださいと祈っています。道は私たちが現実の生活の中で歩む道です。道を歩むように私たちは決断をして選択をして歩まなければなりません。行く道が分からず、見えず途方に暮れることもあります。主の喜ばれる御心の道をいつも選択して歩めるように。誘惑に負けて邪悪な道に迷いこまないように。瞬間瞬間正しい道を歩めるように。そのためにも焦らないで主を待ち望みましょう。「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。」(14節)

7月4日聖日礼拝

礼拝説教(41分54秒)

聖書 創世記14章1節〜24節
説教 「ロトを助けるアブラハム」
説教者 高橋 博牧師


今月の聖句

ヘブル人への手紙13章15節

ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。


今週の聖句

詩篇110篇4節

主は誓い、そしてみこころを変えない。あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である。


今週の祈りのガイド

詩篇26篇1節〜12節

  1. 「私を弁護してください。主よ。私が誠実に歩み、よろめくことなく、主に信頼したことを。」1節は、私を弁護してくださいと主に呼びかけで始まっています。誠実に歩んだこと、主に信頼していること、告白しています。2節では私を調べ、試み、精錬してくださいと祈っています。ダビデが誤解され、不当な中傷を受けている時の祈りと思われます。また行為として罪を犯すことや、失敗することもあります。うわべを見る人は非難しますが、信仰を持って主の前に誠実に悔い改めの道を歩んでいることを告白し歌っています。

  2. 2 ダビデが息子アブシャロムに反逆され王位を奪われ都落ちをした時、多くの人がダビデを見捨てて、アブシャロムに着きました。人生の孤独と悲哀の中でも、3節「あなたの恵みが私の目の前にあり、私はあなたの真理のうちを歩み続けました。」ダビデは主の恵みにより頼み、みことばの真理を信じ、より頼んで歩んでいます。多くの不信実な人々がうわさを信じ、間違った情報で非難していますが、主の祭壇の周りを歩き、身代わりのいけにえによる罪の赦しを覚え、感謝の声を響かせています。

  3. 9節「どうか私のたましいを罪人とともに、また、私のいのちを血を流す人々とともに、取り集めないでください。」多くの人々は間違った情報、うわさを信じて、ダビデを非難し攻撃しています。間違った情報の中で命を落とすことのないように、贖いだしてください、あわれんでくださいと祈っています。教会は罪赦された罪人の共同体、交わりの家です。主が罪人を受け入れ、赦し、愛してくださいました。この教会を愛しましょう。

  4. 12節「私の足は平らな所に立っています。私は、数々の集まりの中で、主をほめたたえましょう。」と祈りの格闘の中で足は平らな所に立ち、たましいの平安を得ています。贖いだされたことを信じ、主のあわれみ、赦し、無限の愛を疑わずに誠実に信じて受け入れ確信する時、躓かず、平らな道を歩むことができます。