2023年7月9日聖日礼拝

動画(32分42秒)

聖書 ローマ人への手紙10章8節〜11節
説教 「イエスを主と告白する」
説教者 高橋博師


今月の聖句

ペテロの手紙第一2章25節

あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。


今週の聖句

ローマ人への手紙10章10節

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。


今週の詩篇の黙想

詩篇130篇

  1. 今日の聖書は詩篇130篇です。「主よ、深い淵から、私はあなたを呼び求めます」と1節は始まっています。深い淵とはとんなイメージでしょうか。不義が3節に出てくることから、罪の苦しみのどん底からの叫びであり祈りであります。ダビデがバテシェバと姦淫の罪を犯し、預言者ナタンと聖霊に責められた時、暗黒の中で煩悶している時、深い淵の底から主を叫び求めている姿を想像することができます。ペテロがイエス様を否定して鶏の声を聞いて、自分の犯した罪の中でもがいている時も深い淵の中のようです。パウロが正しいと信じてダマスコにまで行って教会を迫害している時、わたしはあなたが迫害しているイエスである、との幻を見たとき、光に打たれ、目が見えなくなり悶々としている時の叫びもこのような叫びであったと思われます。

  2. 5~6節には主を待ち望みます、と「待つ」という言葉が6回繰り返されています。主を待つという信仰は詩篇の根底に流れている信仰であります。待つが6回繰り返されていますが、主語は、「私は」と「私のたましいは」が交互に入っています。待つ対象も「主を待つ」が二回繰り返された後「主のみことばを待つ」と発展しています。「待つ」信仰を豊かに表現するために、夜回りが夜明けを待つ心境が例に挙げられています。主を待ち望むことは、み言葉の約束を待つことであり、魂に光が差し込む救いを待つことであります。

  3. 1節の「あなたを呼び求めます」が5節では「私は主を待ち望みます」に進み、7節では「イスラエルよ、主を待て」と発展しています。この変化の中に、主を呼び求め、主を待ち望む中で、主の贖い、主の恵み、主の赦し、主のみことばを体験して、信仰の確信に進んでいます。「イスラエルよ。主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。」(7節)と確信に満ちた勧めです。罪のどん底、深き淵へ転落した人物が主の恵みで引き上げられ、信仰の体験に基づいた喜びの詩篇、賛美であります。私たちも確信に満ちて「主はすべての不義からイスラエルを(私を)贖いだされる」と告白、賛美をしましょう。

2023年7月2日聖日礼拝

動画(39分57秒)

聖書 創世記37章1節〜11節
説教 「ヨセフの見た夢」
説教者 高橋博師


今月の聖句

ペテロの手紙第一2章25節

あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。


今週の聖句

へブル人への手紙1章1節~2節

神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。


今週の詩篇の黙想

詩篇129篇

  1. 今日は詩篇129篇を味わいましょう。詩篇126篇は種を蒔く喜び、127篇は、子どもたちは主の賜物、128篇は、あなたの妻は家の奥にいて豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ、と勤労、家庭生活の喜びが歌われていましたが、129篇は一転して苦難を歌う詩篇です。父祖たちの苦難を回顧する歌であります。「彼らは私の若いころからひどく私を苦しめた。さあ、イスラエルは言え。彼らは私の若いころからひどく私を苦しめた。彼らは私に勝てなかった。」(1~2節)苦しみという言葉が繰り返されています。苦しめた「彼ら」とは、エジプトをさしています。400年の間、エジプトで奴隷の苦役がありました。出エジプトの途上でもモアブ、アモン、エモリなどの民族がイスラエルの民を苦しめました。カナンの地に入って来ても、カナン人、ペリシテ人によってイスラエルは苦しめられ、バビロン捕囚ではアッシリヤ、バビロンに苦しめられていました。

  2. その苦しみは、「耕す者は私の背に鋤をあて、長いあぜを作った。」と奴隷生活の苦役が表現されています。背中に鉄の鋤があてられて長いあぜが作られるという、肉体的苦難であります。「彼らは私の若いころからひどく私を苦しめた。」という言葉が繰り返されています。民の若いころ、イスラエルの国が形成される若いころ、イスラエルは周辺諸国から苦しみを受け、その中で、「彼らは私に勝てなかった。」(2節)と告白し、主の勝利の証しがなされています。

  3. パウロは「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。」と叫んでいます。イエス様は「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」と励ましていてくださいます。詩篇119編71節では「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」と告白しています。「主は正しくあり、悪者の綱を断ち切られた。」(4節)苦しみの中にも主の御手があります。苦しみだけが目に留まるのではなく、練り鍛えてくださる主の愛の御手が見えるように祈りましょう。