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『愛と自由のことば』より(30)
「仁者は敵なしというが、キリスト者は敵を、しかも不倶戴天の仇敵を絶えず持っているはずなのである」〔中村獅雄〕 …
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『愛と自由のことば』より(29)
「だれかを愛していると思っても/それはしばしば、自分を愛しているにすぎない・・・子よ、わかるか、愛は痛みだ・・…
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『愛と自由のことば』より(28)
「われわれは首を垂れて、『主よ憐みたまえ!』『キリストよ憐みたまえ!』と祈るほかはない」〔小塩力〕 小塩牧師…
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●『愛と自由のことば』より(27)
「まったく自分自身を忘れるということ、これこそ、多く愛するということの真の表現にほかならないのであります」〔キ…
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●『愛と自由のことば』より(26)
「何よりおそろしいのは、このように何ひとつ愛しうるものがない暗夜にあって、もしたましいが愛することをやめるなら…
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●『愛と自由のことば』より(25)
「虹には必ず雨の背景があります。虹そのものがこれを表現しています。即ち注意して見ますと、虹の外側の空はその内側…
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●『愛と自由のことば』より(24)
「子供というものは、家庭内の雰囲気に非常に鋭敏に反応するものです。蕾は感じやすく傷つきやすく、ほんのちょっと霜…
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●『愛と自由のことば』より(23)
「われわれにとっては『目に見えない―ただ、神の御目にしか見えない―教会』を信じることが必要なのであるが、それと…
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●『愛と自由のことば』より(22)
「完全な無力と絶望の中で発せられる『アバ、父よ』という呼び声・・・この呼びかけが発せられる場合、雲を貫き、天と…
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●『愛と自由のことば』より(21)
「『・・・〈体験〉とか〈敬虔なる畏怖〉とか聖なる感情といった言葉は、敬虔主義者たちがおちいった邪道にすぎない』…