『愛と自由のことば』より(30)

「仁者は敵なしというが、キリスト者は敵を、しかも不倶戴天の仇敵を絶えず持っているはずなのである」〔中村獅雄〕

 中村獅雄は明治、大正、昭和に生きたキリスト教思想家、神学校教師。

 キリスト教はゆるしの信仰です。唯一さばくことのできるお方である神さまが私たちの罪をゆるしてくださったという喜びにキリスト者は 生かされています。キリスト者は自分をゆるし、また隣人をゆるして生きていきます。

 ゆるしに生きるということは、敵がいないということではないと、中村先生は語ります。敵がいないという環境の中にあっては「ゆるす」ということは中身のないものです。敵が存在しているからこそ「ゆるす」ということが必要であり、また「ゆるす」ということの難しさを学び、さらには「ゆるす」ということの喜びを知ります。そうして自分がゆるされているということをさらに深く味わい知ることができるでしょう。

 いたずらに敵を作る必要はありませんが、神さまの御心に生きようとするならばこの世では敵に出会うはずです。敵がいないのはこの世に同調して生きているだけなのかもしれません。

 敵に囲まれてこそゆるしの道を選択しましょう。戦いではなくゆるしの道を選択しましょう。敵に囲まれた中でゆるしに生きようとするならば、そこでの真の敵はゆるしに生きることのできない自分自身であることが明らかとなるでしょう。