教会の歩み

1954年4月12日~15日の4日間の天幕集会が、延命公園下の広場で行われた。
日本伝道隊のゴズデン宣教師を講師として持たれた集会は大変祝されこの時信仰回復した幾人かのクリスチャンと伝道した人々によって、集会が持たれる様になった。
最初の集会は「フタバ洋裁学院」をお借りして持たれ、責任講師はジョン・マッソン宣教師でした。
しばらくは篠崎進治先生が協力してくださり、最初の洗礼式は永源寺の川で行われ、6~7名が受洗したと聞いています。
その後マッソン宣教師からロバーツ宣教師に引き継がれ、続いて1963年2月17日最初の献堂式の運びとなり、この時から長沢敏雄牧師が着任、6年間の牧会により教会の基礎が定着していった。
長沢牧師が長浜に転任されると共にオーエンズ宣教師が着任し、3年後にバーンズ宣教師に引き継がれ、中川朝世師(現 高橋師夫人)がバーンズ師と協力された。
因習の強い田舎で教会が成長していくことには様々な困難があり、当教会も冷たく厳しい波風にもまれてきたが、数人の信徒の献身の姿勢が神の祝福を得る導火線となり、主に油注がれ、この地に光を掲げ続けてきた。
1978年には、当団体で一番最初に開かれた五個荘キリスト教会が八日市に合流することになり、当時残っておられた3名の会員が八日市に転会された。
この頃から会員数も増えはじめ、便所、炊事室、分級室、玄関と順次改増築を重ねた。
英会話の奉仕を中心に宣教師の協力も次々と得、今日まで続いている。
団体も入団された先生方が短期間訓練のために来られることも多くなったのはこの頃から。
第二回目の献堂式(現在の教会)が行われたのは1981年10月25日でした。
献堂式後2~3年は教勢の停滞があったが、徐々に上向き始めた。1986年には「ホサナ館」を建設。
1987年に日本教会成長研究所の研修を受け「豊かに実を結ぶ教会」を目指して進んできた。
1988年からは複数礼拝となり、早朝礼拝、第一礼拝、子供礼拝、第二礼拝、ヤング礼拝の5つの礼拝が日曜日の午前中に持たれることになった。
1989年よい団体に「ヘブロン聖書学院」が開かれ、神学生が訓練生として送られるようになり、次々と伝道師、副牧師(歴代は、中島由紀子師、筈井京子師、久野桂江師、田中隆裕師、辻井千代師、菅原義久師)を迎えて教会の活動が拡大されてきた。1990年から毎年、会場を回りもちにして「びわこクリスマス」が持たれる様になり、八日市では隔年に八日市文芸会館で持たれてきた。
1998年10月には滋賀県の教会が協力して、開催した「ベリー・ムア大会」が八日市文芸会館で持たれた。
1999年には「ジョイハウス」も増設されたが、駐車場の事も含め、新会堂の建設が今一番の課題となっている。21世紀に向かえて「豊かに実を結ぶ教会」のさらなる進展を期待したい。

2000年

中沢隆一

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