●『愛と自由のことば』より(22)

「完全な無力と絶望の中で発せられる『アバ、父よ』という呼び声・・・この呼びかけが発せられる場合、雲を貫き、天と地を満たす」(福田正俊)

 イエスさまは全能なるお方であり、私たちをご支配くださっています。私たちの罪のすべてをゆるし、私たちの罪に完全に打ち勝ち続けてくださいます。このイエスさまの確かな お約束に信頼して、「アバ、父よ」つまり「お父さん、お父ちゃん」と呼びかける言葉を「聖霊の叫び」とルターは語りました。
 この聖霊の叫びは、聖霊体験や目に見える経験を求めるところではわかりません。聖霊の働きの土台は体験ではなく、信仰なのです。
 体験と信仰をごちゃごちゃに考えると、洗礼によって与えられた聖霊さまがわからなくなってしまいます。せっかく聖霊さまがともにいてくださるのに、自分が感じられないからおられないとしてしまうなら、聖霊さまに対してなんと失礼なことでしょう。
 信仰は揺れ動く感情が土台となって成り立つものではなく、感情を超えたものであり、時に感情に逆らうものです。感情がどうであれ、意志によって信じる道を選択すること。それが信仰です。
 ですからこの信仰に生きる者は自分の感情に縛られることから解放され、聖霊の自由をいただいています。聖霊の自由をいただいている者は、感情の奴隷ではなく、神さまの御心を選択する自由をいただいています。