●『愛と自由のことば』より(27)

「まったく自分自身を忘れるということ、これこそ、多く愛するということの真の表現にほかならないのであります」〔キェルケゴール〕

 キルケゴール、キールケゴール、キェルケゴール・・・訳書によっていろいろな表記がありますが、とりあえず岩波文庫にならってキェルケゴールとしておきましょう。デンマーク語だそうです。

 ルカ7章38節に登場する香油を注ぐひとりの罪深い女。彼女は罪深い自らをパリサイ人の前にさらし香油を注ぎます。泣きながら香油を注ぎます。 この涙の中に彼女は自分自身を忘れているとキェルケゴールは語ります。そして自分自身を忘れているところに、彼女が多く愛していることが現れているといいます。

 私たちは愛するときでさえ、自分自身がテーマになっていることがあります。あるいは愛している時だからこそ、自分自身がテーマになってしまうということかもしれません。自分自身の為したこと、語ったこと、そしてそれらがどのような影響を与えるか、またどのような評価を得るかが、こころを駆け巡っています。決して自分を忘れることがありません。そのようなことから自由にされ、自分自身を忘れて愛するとき、多くを愛するのです。

 自分を忘れること。それは何も考えないで感情のままに行動するということではありません。神さまを思うことです。神さまの御心を大切に考えるところに多くを愛する道が開かれるのです。