●『愛と自由のことば』より(26)

「何よりおそろしいのは、このように何ひとつ愛しうるものがない暗夜にあって、もしたましいが愛することをやめるならば、神の不在が決定的になるということである」〔シモーヌ・ヴェーユ〕

 水曜日の夜の祈祷会で先月から旧約聖書のヨブ記を読み始めました。一章づつ読み牧師から短いお話をさせていただき参加者で分かち合っています。ヨブ記のテーマはいくつもあると思いますが、その中に「なぜ義人に不幸がやって来るのか」「義人に不幸をもたらす神は果して正しいお方なのだろうか」といったことがあると思います。簡単には答えられないテーマですし、果して答えがあるのだろうかとも思えるテーマです。おそらく答えを出すよりも、共に考えるということが大切なのかもしれません。

 ヨブは何ひとつ愛しうるものがない暗夜の中に置かれます。いっそ神をのろって死になさいと妻にまで言われますが、ヨブは神を呪う代わりに神に訴え続けます。訴えるということはずいぶん表現の色合いが違うのですが、もしかしたら愛し続けるといってもよいことなのかもしれません。人間は愛していなければ訴えることもしないでしょう。

 この暗夜にあって、その絶望の中にあって、もし愛することを辞めてしまうならば、神さまの不在が決定的になってしまいます。ですから絶望の中にも愛に生きることが大切なのです。あるいは絶望の中にこそ愛することが必要なのです。あるいはまた絶望の暗闇しか見出せないのだから、せめて「私は愛に生きる」という決意が必要なのではないかと思います。