カテゴリー: 田中隆裕牧師
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●デボーションからの黙想2~『カール・バルト一日一章』より(5)
キリスト者が祈る時、彼らは、祈ることのできない人びと全てのいわば代理人です。(『カール・バルト一日一章』より)…
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●デボーションからの黙想2~『カール・バルト一日一章』より(4)
神が憐れんでくださる者は、自分への神の対立を体験することになります。(『カール・バルト一日一章』より) 私た…
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●デボーションからの黙想2~『カール・バルト一日一章』より(3)
私たちの始まりの境界である永遠の恵み深い神が、私たちの生命全体に責任を持たれないはずはないではありませんか。(…
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●デボーションからの黙想2~『カール・バルト一日一章』より(2)
キリスト者は祈ることが許されているので、まだ不安の中にありながら、実際に自分の不安からの解消を先取りします。(…
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●デボーションからの黙想2~『カール・バルト一日一章』より(1)
人が神に対して人という被造物として自らに示されている制限の中で歩もうとしないことは、人の罪への「転落」です。(…
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●牧師の机2~魂への配慮の歴史より魂への配慮の歴史2(20)◎目覚めさせること
「われわれの説教は、人びとにとって、外からやってきた知らない人間が何かを教えてあげるというようなことではない。…
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●牧師の机2~魂への配慮の歴史より魂への配慮の歴史2(19)◎すてきな地上に生かされている
「『神父さま、私に隣人がおります。そのひとは魔女です。私に魔法をかけるのです。私はどうしたらよろしいでしょうか…
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●牧師の机2~魂への配慮の歴史より魂への配慮の歴史2(18)◎隣人愛は常に相対的なもの
「しかし、神への愛は隣人への愛とは質が異なります。わたしは、自分の隣人を神を愛するように愛すべきではありません…
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●牧師の机2~魂への配慮の歴史より魂への配慮の歴史2(17)◎生と死の二つの点で平等な私たち
「われわれは神の慈しみの創造の手によって存在するようになったのであり、われわれの審きを行う者である、この神に向…
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●牧師の机2~魂への配慮の歴史より魂への配慮の歴史2(16)◎祈ることとは、信頼しつつ身を屈めること
「祈ることとは、信頼しつつ身を屈めること・・・そうすれば、今まで起こらなかったことが、あなたに向かって起こるで…