●牧師の机2~魂への配慮の歴史より魂への配慮の歴史2(16)◎祈ることとは、信頼しつつ身を屈めること

「祈ることとは、信頼しつつ身を屈めること・・・そうすれば、今まで起こらなかったことが、あなたに向かって起こるでしょう。一種の確信が生じるのです。私は支えられている、という確信です。
ヨハネス・ブールス(1913~1988)

 ドイツ西部ミュンスターに生きたカトリック司祭、神学者。
 まるで労働組合の団体交渉のように祈る方がおられます。ブールスによるとそれは祈りではありません。信頼もしていないし、身を屈(かが)めることもしていません。不満からのつぶやきでしかなく、神さまに支えられているという確信は生まれていません。
 神さまに信頼しつつ、身を屈めているならば、言葉は少なくとも、あるいは言葉にならなくとも、そこには祈りが生まれます。
 またブールスは、キリスト者の信仰を際立たせるもの、つまり「ああ、あの人は本当にキリスト者だなあ」と人びとに思わせるものとはいったい何か、との問いかけに、それは「希望」であると語っています。
「世俗化され、広く神を失ったままになってしまったこの世界のなかを通じる道を歩みながら、キリスト者は、明けの明星が指し示す方向を知っています」(ブールス)。たとえ愛深く生きることができなかったとしても、キリスト者はいつも希望をもって生きています。


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