●デボーションからの黙想2~『カール・バルト一日一章』より(1)

人が神に対して人という被造物として自らに示されている制限の中で歩もうとしないことは、人の罪への「転落」です。
(『カール・バルト一日一章』より)

 「人が神を造ったのではなく、神が人を造ったのです!」(バルト)。聖書の神さまは、創造主です。この世界のすべてを造られた方です。神さまによって造られなかったものは存在しません。神さまはまた人間を造られました。私たちを造って下さいました。造られた者である私たちは、造られた者としての制限をいただいています。神さまを創造主として生きることは、自分自身が造られた者として、その制限の中で歩むことによって確かにされます。
 人間に与えられている制限にはどのようなものがあるでしょう。空腹、睡眠、弱さ、老い、など肉体的な制限があります。それに加えて、愛の足りなさ、短気、不機嫌、物忘れ、種々の欲望、など精神的な制限もあります。あるいは時間、生命の限界、社会的制約、などといった制限もあるでしょう。そういったものを否定して生きることが、自らの被造物としての制限の中から飛び出てしまうことであるならば、それは自らを神としてしまうことであり、聖書の語る「罪」に転落することです。
 自らに課せられている制限、隣人たちの中に課せられている制限の中で歩もうとすること、すなわちそれらを受け止めて生きることは、神さまを創造主として大切にすることであり、キリスト教信仰に生きる道です。身体がしんどい時は休むこと、それも神さまを創造主としてあがめることなのでしょう。


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