●牧師の机2~魂への配慮の歴史より魂への配慮の歴史2(19)◎すてきな地上に生かされている

「『神父さま、私に隣人がおります。そのひとは魔女です。私に魔法をかけるのです。私はどうしたらよろしいでしょうか』。
『私は既に70年も、このすてきな地上に生きてきました。今まで、悪人に会ったことがありません。自分以外にはね。それなのに、魔女がいるなどといわれるのかね』。
師父(長老)イオアーン

 ロシア正教における「長老」は、制度にも階層的聖職者制度にも属さず、しかも正教会の重要な要素であった人々。無神論の国家哲学の支配、その迫害の中にも司祭と共に魂への配慮に生きた人々で、彼らはただ聖霊の働きだけに委ねて生きました。(ちなみにドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に登場するロシアの長老ゾシマは、この長老の一人で実在の人物・長老アンブロシイ(1812~1892)をモデルにしているといわれます。)
 さてその長老の一人イオアーンのところに相談にやってきた一人の人と、イオアーンとの対話が上記の言葉です。
 エデンの園で罪を犯して以来、人間は、自分以外に「悪」を見つけ、指摘し、攻撃して生きるようになりました。確かにこの世界を見て、悪魔や魔女、悪霊の支配を感じる人もおられるかもしれません。しかし聖書は、罪人である私たちのために十字架にかかった神さまの愛を語ります。自分が罪びとであるという現実に出会わない限り、神さまの愛に出会えないのです。自分以外に悪を見出したくなるのは、自分自身の罪から目をそらしたいからかもしれません。
 それにしても罪びとである私を置いてくださったこの世界はなんと素敵なところでしょうか。神さまの創造のみ業には、神さまの全能と愛が満ちあふれています。


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