●デボーションからの黙想2~『カール・バルト一日一章』より(2)

キリスト者は祈ることが許されているので、まだ不安の中にありながら、実際に自分の不安からの解消を先取りします。
(『カール・バルト一日一章』より)

 イエスさまを信じている者は、祈ることができます。心の中にあるものを神さまに向かって解放することができます。自分の言葉をもって打ち明けることができるのです。
 神さまはすべてのことをご存知ですが、私たちが祈ることを待ち望んでいてくださいます。お喜びになってくださいます。神さまは私たちの祈りを喜びをもって聞き、受け止めてくださいますから、私たちは安心することができます。祈っても思い通りに解決しない場合もあります。願った通りに答えられない場合もあります。しかしそれでもイエスさまを信頼しているので、安心感は変わることがありません。
 私たちは祈ることによって、なお不安の中にありながらも、不安からの解消を先取りします。先取りとは、まだ答えられてもいないのに、まるで答えられたかのように、喜びと感謝の中に生きるということです。
 祈った事がらは、神さまの御手の中におかれたのですから、もう私一人で悩む必要はありません。神さまが最善をなしてくださいます。私たちはただ神さまに委ねて、神さまの時を待ち望んでいればいいのです。


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