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●デボーションからの黙想3~リュティ『この日言葉をかの日に伝え』より(10)
キリスト者の隣人愛の特色は、何よりも、それが命じられ要求され得る愛だという点にある。・・・そのような愛は、それ…
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●デボーションからの黙想3~リュティ『この日言葉をかの日に伝え』より(9)
もし私が、絶対にもはや何ごとも自明のこととして受け取らないということを始めるならば、その場合には、信仰の奇蹟が…
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●デボーションからの黙想3~リュティ『この日言葉をかの日に伝え』より(8)
それが「来る方」の信仰共同体でない場合には―それが自分自身の蓄えと安全装置によって生き始める場合には、やがてい…
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●デボーションからの黙想3~リュティ『この日言葉をかの日に伝え』より(7)
このからし種から成長する共同体は、もはやこの世界の中で消滅することはありえない。・・・からし種から成長したもの…
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●デボーションからの黙想3~リュティ『この日言葉をかの日に伝え』より(6)
強大さということに憑かれているこの世の只中で、小さいということに対する勇気を持ちたまえ。からし種の譬えに対する…
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●デボーションからの黙想3~リュティ『この日言葉をかの日に伝え』より(5)
教会は、ただ信仰の対象であるよりほかはない。「われは聖なる公同の教会を信ず。」われは信ず! 貧しく弱いもの、こ…
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●デボーションからの黙想3~リュティ『この日言葉をかの日に伝え』より(4)
神の御子が自分を持ち給うことを知っている者。その人は、御子を持つのである。(リュティ、『この日言葉をかの日に伝…
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●デボーションからの黙想3~リュティ『この日言葉をかの日に伝え』より(3)
私たちは、神の愛の中にいる。キリストは、弟子たちが彼の愛の中に「いる」ことを前提とされるゆえに、「私の愛の中に…
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●デボーションからの黙想3~リュティ『この日言葉をかの日に伝え』より(2)
「大きな」というのは、この世の前で輝き価値を持っているという意味で「大きい」のではない。そうではなくて天国にお…
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●デボーションからの黙想3~リュティ『この日言葉をかの日に伝え』より(1)
世にあるキリスト者に課せられている戦いは、殴りかかったり戦い取ったりする戦いではなくて、「耐える」戦いだという…