●デボーションからの黙想3~リュティ『この日言葉をかの日に伝え』より(3)

私たちは、神の愛の中にいる。キリストは、弟子たちが彼の愛の中に「いる」ことを前提とされるゆえに、「私の愛の中に留まりなさい」と命じることができるのである。
(リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』より)

 神さまの愛の中にいる時といない時があるのではありません。キリスト者はみな神さまの愛の中にいるのです。神さまはご自身のあふれる恵みによって、私たちを招き、神さまの愛の中に置いてくださいました。この愛から引き離すものは、この世界のどこにもありません。誰が何と言っても私たちは神さまの愛の中にいるのです。これが「前提」です。
 ですからイエスさまは「私の愛の中に留まりなさい」と私たちに命じることができるのです。問題は、せっかく神さまの愛の中に招き、神さまの愛の中に置いていてくださっているにもかかわらず、そこから迷い出ようとしてしまう「私」にあります。信仰生活の戦いは、迷い出ようとしてしまう自分との戦い、神さまの愛の中に「留まる」ことの戦いです。
 神さまの愛の中は居心地がいいはずなのに、なぜ人間はそこから迷い出てしまおうとするのでしょうか。神さまの愛に慣れてしまって、神さま以外のところに、もっと素晴らしいものがあるように錯覚するからでしょうか。錯覚から解放され、日々新鮮に神さまの愛の素晴らしさを学び続けなければなりません。


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