●デボーションからの黙想3~リュティ『この日言葉をかの日に伝え』より(1)

世にあるキリスト者に課せられている戦いは、殴りかかったり戦い取ったりする戦いではなくて、「耐える」戦いだという特殊性を持っている。
(リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』より)

 苦しみや困難の中で、教会に導かれ聖書に出会い、イエスさまにお出会いします。イエスさまが私の罪のために十字架で死んでくださったことを信じ、個人的な救い主であることを受け入れます。尽きることのない命に生きる者とせられました。そうして前進するキリスト者の信仰生活にはさまざまな戦いがあります。信仰をいただいてまことの平安に生きる者とせられたのですが、その信仰生活には戦いがあると聖書は語るのです。
 信仰を持ったにもかかわらず苦しみや困難に出会うと「こんなはずではなかった」と信仰が揺さぶられます。それでも人生をあきらめない、希望に生き続ける戦いがあります。隣人を愛しなさい、と語られるイエスさまのお言葉に従おうとしつつも、自分の中の愛のなさを見せつけられます。それでも愛そうと、愛に生き続ける戦いがあります。他にもさまざまな戦いがあるでしょうか。
 いずれの戦いも「殴りかかったり戦い取ったりする戦い」ではあってはなりません。キリスト者の戦いの特殊性は「耐える」ということにあります。耐えること、忍耐の戦いに、良き戦いぶりを発揮するお互いでありたいと思います。主は耐える者とともにいて、耐える者でしか味わい知ることのできない大いなる祝福を与えてくださいます。


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