カテゴリー: 田中隆裕牧師
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●デボーションからの黙想3~リュティ『この日言葉をかの日に伝え』より(4)
神の御子が自分を持ち給うことを知っている者。その人は、御子を持つのである。(リュティ、『この日言葉をかの日に伝…
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●デボーションからの黙想3~リュティ『この日言葉をかの日に伝え』より(3)
私たちは、神の愛の中にいる。キリストは、弟子たちが彼の愛の中に「いる」ことを前提とされるゆえに、「私の愛の中に…
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●デボーションからの黙想3~リュティ『この日言葉をかの日に伝え』より(2)
「大きな」というのは、この世の前で輝き価値を持っているという意味で「大きい」のではない。そうではなくて天国にお…
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●デボーションからの黙想3~リュティ『この日言葉をかの日に伝え』より(1)
世にあるキリスト者に課せられている戦いは、殴りかかったり戦い取ったりする戦いではなくて、「耐える」戦いだという…
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●デボーションからの黙想2~『カール・バルト一日一章』より(10)
私たちは、神が与えてくださったものを受け入れるということより他に、神に感謝(の)しようがありません。(『カール…
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●デボーションからの黙想2~『カール・バルト一日一章』より(9)
悪魔は存在すると知るべきですが、その時はすぐにも急いで悪魔から離れるべきです。(『カール・バルト一日一章』より…
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●デボーションからの黙想2~『カール・バルト一日一章』より(8)
神の御許に私たちの荷物すべてを置き、神に委ねることが許されているばかりでなく、使命であります。(『カール・バル…
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牧会ずいそう(34) 主にしがみつく
「私ども自身を当てにせず、主にしがみつきましょう」 ヨーハン・フリードリヒ・オーバリン(1740~1826) …
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●デボーションからの黙想2~『カール・バルト一日一章』より(7)
私たちを傷つける人びとの負債が非常に大きく思われるときですら、彼らの罪は相変わらず神に対する私たちの罪よりは限…
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●デボーションからの黙想2~『カール・バルト一日一章』より(6)
イエスは赦しをもって人びとを掴みます。(『カール・バルト一日一章』より) この世はさまざまなもので人びとを掴…