●デボーションからの黙想2~『カール・バルト一日一章』より(6)

イエスは赦しをもって人びとを掴みます。
(『カール・バルト一日一章』より)

 この世はさまざまなもので人びとを掴(つか)もうとします。経済力で、名声で、賢さで、知識で人びとをつかもうとします。しかしイエスさまは「赦し」で人びとをつかまれます。
 赦しとはいったい何でしょうか。私たち罪人である人間は、ゆるしを間違って理解したくなります。ゆるしを「許し」すなわち「許可」「承認」として理解したくなります。しかしイエスさまの赦しは「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません」(ヨハネ8章11節)と語られる赦しです。今からは決して罪を犯さないという方向を持っているゆるしです。この赦しをもってイエスさまは人びとをつかもうとされます。
 罪のゆるしの恵みをいただいたといっても、もし罪を犯さないという方向を持っていないならばイエスさまのゆるしではありません。教会の宣教の言葉も、罪を犯さないという方向を持っていないならば教会の宣教ではありません。「今からは決して罪を犯してはなりません」との方向を持っているゆるしの言葉を聞き、また語り告げましょう。
 イエスさまはまことの赦しによって今日も私たちを招いていてくださいます。


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