●デボーションからの黙想2~『カール・バルト一日一章』より(8)

神の御許に私たちの荷物すべてを置き、神に委ねることが許されているばかりでなく、使命であります。
(『カール・バルト一日一章』より)

 新見南吉の「でんでんむしのかなしみ」ではありませんが、人はそれぞれに荷物を背負って人生を旅しています。病気、障がい、家族や人間関係の苦しみ、経済的困難、などなど。最初から背負わされた荷物もありますし、人生の途上で背負うことになった荷物もあります。軽い荷物もありますし、重たい荷物もあります。同じ荷物でも、軽い時もあれば重い時もあります。担ぎようによって重たい荷物が軽くなったり、逆に軽い荷物でも、歩むのが困難になるほど重く感じられることもあります。いまどのような人生の荷物を背負っているでしょうか。
 神さまを信じる者は、その荷物を神さまのもとに置くことを知っています。いったん荷物を置いて、神さまに委ねるならば、また新しい力をいただいて前進できます。神さまの御許に荷物を下ろしましょう。
 バルトは、荷物を置くことは、そうすることが許されているばかりでなく、それこそ人間の使命であると語ります。使命ということは、人生の荷物を神さまの御許に置くことこそ、人間がこの地上に生きている目的であり任務であるということでしょう。人間は神さまのもとに荷物を置くためにこの世に生を受けたのです。どんなに立派な歩みができたとしても神さまの御許に荷物を置いていないならば、人生の使命を果たしていません。逆にどのような歩みであっても、神さまの御許に荷物を置いているならこの世に生まれてきた使命を果たしているのであって、成すべきことをなすことのできた価値ある人生です。


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