●デボーションからの黙想2~『カール・バルト一日一章』より(10)

私たちは、神が与えてくださったものを受け入れるということより他に、神に感謝(の)しようがありません。
(『カール・バルト一日一章』より)

 神さまへの感謝を表すことは、すなわち「神が与えてくださったものを受け入れる」ことである、それ以外に感謝する方法がないとバルトは語ります。
 神さまへの感謝を表すこととして、礼拝をささげること、奉仕や献金をささげることもとても大切なことですが、それらが「人間の行い」にとどまる限り、どこか不十分なのです。
 たとえば、誰かに感謝を表すために、私たちは贈り物をしたり、お返しをしたりするでしょう。喜びをもってそうするのは幸せなことです。しかし、贈り物やお返しを義務のようにとらえてしまうとなるとどうでしょうか。喜びを失ったものとなることでしょう。喜びのない贈り物ならば、受け取ったほうもそんなに嬉しくないのではないかと思います。
 神さまに対しても単なる義務でささげものがなされたとすれば、神さまはお喜びになるのでしょうか。そのようなささげものは、偶像への供え物と何ら変わらないでしょう。
 主にある者は、まず神さまが与えてくださったものを素直に、遠慮なく、ただ単純に喜びをもっていただくことができるのです。そうして神さまに感謝を表わします。神さまは、ただ単純に神さまからの祝福を喜んで受け入れる者を喜んでくださり祝福してくださるのです。


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