Skip to content

孤独

さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。
(マルコの福音書1章35節)

寂しいところに出かけて行く・・・ひとりぼっちで寂しいところにいると聞くと、可哀そうに思います。さびしさは時に心をむしばみます。孤独は心を頑なにさせ、敵意を生むこともある。しかし、悪いことばかりではありません。人と関わってばかりで、人の意見や世間の物差しに心が振り回されている時、そこから離れて一人になることは自分を取り戻すことにもなります。イエス様がなさっていたことは、そういうことかもしれません。父なる神との交わりの中で、自分の使命を確認し、自分というものを取り戻す。そして次の一歩を踏み出す力をいただくのです。恐れも、焦りも、寂しさも、恥ずかしさも、父なる神の愛の前には力を失います。どんなことがあっても私の側に立ってくださる父がいる。こんなに心安らかなことはありません。私たちが愛に生きる原動力は、常にこの父との交わりの中にあるのです。イエス様がそうであったように。父なる神の愛は偉大です。奥村拓也

Published in牧師のつぶやき

Be First to Comment

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です