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やる気とは別に

●使徒の働き7章23節、30節、35節
23 モーセが四十歳になったとき、自分の同胞であるイスラエルの子らを顧みる思いが、その心に起こりました。
30 四十年たったとき、シナイ山の荒野において、柴の茂みの燃える炎の中で、御使いがモーセに現れました。
35 『だれがおまえを、指導者やさばき人として任命したのか』と言って人々が拒んだこのモーセを、神は、柴の茂みの中で彼に現れた御使いの手によって、指導者また解放者として遣わされたのです。

 モーセは40歳という若く元気な日に、同胞に対する情熱が沸き起こり、イスラエルを救おうと立ち上がりました。ところが、彼の情熱と理想はいとも簡単に打ち砕かれ、ミデヤンの地に逃亡したことが出エジプト記2章に描かれています。若くて情熱も力もあり、理想に燃えていたモーセの挫折です。
 ところが、その40年後の80歳の時、神はモーセに現れ、彼をイスラエル救済の指導者として選ばれます。すでに老人となっていたモーセです。それも、元気でやる気満々の年寄りではありません。体は元気だったかもしれませんが、打ちひしがれて自信を失っていた老人のモーセです。
 「彼らは私の言うことを信じず、私の声に耳を傾けないでしょう。」(出4・1)、「ああ、わが主よ、私はことばの人ではありません。」(出4・10)。これが、神に対するモーセの応答です。選ばれたのに、全くやる気なしです。40歳の時の情熱も勇気も消えうせていました。
 なぜ、神はこんな人を選ばれたのか。それは、救済をなしたのが人間の熱意や力によるものでないことを明らかにするためです。言い換えると、人を神格化しないためです。神こそが救い主であることを明らかにするために、あえて無力な者を選ばれたのです。さあ、私たちも弱さの内に働く神の力を信じて、等身大の自分で進んで行きましょう。無理にやる気を演出する必要もないし、空元気もいらない。神の力が私たちを立ち上がらせてくれるのです。奥村拓也 

Published in牧師のつぶやき

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