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静まりの時

●わたしたちが自分の成し遂げた成果を意識しすぎるようになると、人生は一つの大きなスコアボードとなり、そこに誰かが価値を測って点数をつけるという間違った信念を、少しづつ持つようになります。そしてそのことにはっきり気がつかない内に、自分の魂を多くの批評家に売り渡してしまいます。わたしたちがこの世に存在しているだけでなく、この世に属してしまうということになるのです。そうすると、わたしたちはこの世に支配されてしまいます。誰かが高い評価をくれれば利口な人、ありがとうと言われれば役に立つ人、誰かが好いてくれればいい人なのです。そして、なくてはならない人と思われれば、重要人物となります。つまり、成功すれば立派な人なのです。キリスト者として生きるということは、この世で、この世に属さずに生きることです。このうちなる自由が育まれるのは、ひとりになる時です。
(ヘンリ・ナウエン著、『イエスの示す道』受難節の黙想、から)

 静まりの時は大切です。しかし、ただ一人になるのではなく、神に向かうのです。それも、願い事を言い続けるのではなく、静まって神の声を聞く一人の時を持つのです。そこで、「わたしの目にあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」とおっしゃってくださる神の愛の声に心を浸すのです。あるいは、「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選んだ」という神の選びとそこにある使命にフォーカスするのです。人との比較ではなく、自分だけに与えられた唯一無二の場所、時間、役割に目を留め、そこにある神の摂理を思いめぐらすとき、見えてくるのです。私の人生の目的とその意義が。金があろうがなかろうが、地位と名誉があろうがなかろうが、健康であろうがなかろうが、賞賛があろうがなかろうが、あなたや私にしかない唯一無二の神の使命です。奥村拓也

Published in牧師のつぶやき

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