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霊的な生活

●イエスは、わたしたちを高めて、父なる神との愛の交わりへと導くために来られました。わたしたちがイエスの宣教の根本的な目的に気づいたとき、初めて霊的生活の意味が理解できるのです。イエスのものはすべて、受け取るようにと与えられています。・・・しかし、霊的な生活は、人の数ほど多様であり得るのです。
(ヘンリ・ナウエン著、『イエスの示す道』受難節の黙想、から)

私はイエス様を信じて、罪赦され神の子となりました。今、私は神に愛され喜ばれています。何という幸い。私は幸せ者です。いや、幸せであってもいいのです。人や世間から見て、高学歴・高収入ではなくても、あるいは仕事や私生活において成功していなくても、自分は幸せだと認めて良いのです。世間の物差しに身を売る必要はない。神に愛され喜ばれている。ここに幸いを見出し、霊的な生活に潤いを感じる時、人の数ほど幸せのカタチが違うことに気付きます。それは能力や年齢に左右されません。霊的な生活は、私が私を生きる自由と勇気を与えてくれます。奥村拓也

Published in牧師のつぶやき

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