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愛して下さる神に向けるとき

神の許しは、わたしたちの罪より大きいのです。神に向かうのではなく、自分のことだけを考える罪に気がつきます。・・・罪の意識から、こう言うのです。「わたしはあまりに罪深くて神の許しに値しない」と。わたしたちの目を神に向けずに、自分の内にこもってしまう、それが罪なのです。それこそ偶像となって、高慢という姿をとる罪なのです。受難節は、この偶像を打ち砕き、わたしたちの注意を、愛して下さる神に向けるときです。
(ヘンリ・ナウエン著、『イエスの示す道』受難節の黙想、から)

私たちの罪と弱さは相変わらずで、なかなか直りません。自分のうちにひきこもって内省したところで、うまくはいきません。私たちを愛して下さる神に注意を向ける時、知らず知らずのうちに直されるものです。十字架のキリストに心の目を向け、内におられる聖霊の声に耳を傾け、真実な父なる神の約束の言葉に目をとめる時、私たちは自分が何者であるかを知り、何をすべきかを悟るのです。神は何かをなす力も与えてくださいます。

Published in牧師のつぶやき

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