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受難週 聖火曜日

まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。(ヨハネの福音書12章24~25節)

この日、カトリック教会では、ユダの裏切りを予告する記事が読まれます(ヨハネ13:21~33、36~38)。メインラインのプロテスタント教会では、ヨハネの福音書12章20~36節が読まれます。福音書では、長い論争と説教が続く日です。その中から、「一粒の麦」の一節を選びました。イエス様の捨て身の愛と、父なる神への従順を現す言葉です。イエス様は、その生涯において徹頭徹尾、神の憐れみを体現さないました。その憐れみは、同時に当時の指導者たちの無慈悲さを批判することとなり、その恨みと妬みを買って、イエス様は殺されたのです。これはユダヤ人にとってはつまずきであり、異邦人にとっては愚か者の姿でした。しかし、信じる私たちには救いを得させる神の力・神の知恵です(Ⅰコリント1:24)。今一度、イエス様の偉大さを黙想しましょう。

Published in牧師のつぶやき

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