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受難週 聖水曜日

◆聖水曜日
この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」(マタイの福音書26章12~13節)

この日には様々な出来事がありました。オリーブ山での終末預言(マタイ24~25章)、ベタニヤで一人の女性がイエス様に高価な香油を注ぐ(マタイ26:6~13)、そしてイスカリオテのユダがイエス様を裏切る(マタイ26:14~)などの出来事です。その中で、今日はベタニヤの一人の女性(ヨハネ福音書によるとラザロやマルタの家族であるマリヤ)の記事にスポットを当てます。他の弟子たちの批判をよそに、無駄と思えたマリヤの行為を、イエス様は高く評価しました。この時点で十字架がわかっていたのは、このマリヤだけだったようです。そして、福音が宣べ伝えられるところ、すなわち神の国が拡大していくところにおいては、このマリヤの無駄と思える行為が、記念となるのです。「無駄だ」「意味がない」とすぐ口走る現代人に向かって、聖書は神の国の視点から、「無駄にはならない。必ず意味がある」と励ましてくれるのです。私たちの日常も無駄ではない。意味がある。信じたいと思います。

Published in牧師のつぶやき

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