礼拝説教から 2020年4月26日

  • 聖書箇所:ローマ人への手紙1章1-7節
  • 説教題:御子に関する福音

 ――この福音は、神がご自分の預言者たちを通して、聖書にあらかじめ約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです。(ローマ人への手紙1章2-4節)

0.

 先週からローマ人への手紙を見ています。先週はローマ人への手紙全体の始まりの部分、1章1-7節を見ました。今週も先週と同じ箇所を見ていきたいと思っています。

 パウロは、手紙の冒頭部分で、自分が「神の福音」のために選ばれたと言いながら、すぐに大きく脱線して、福音について詳しい説明を始めました。

 福音というのは、教会の中では当たり前のように聞く言葉の一つです。しかし、一歩、教会の外に出ると、どうでしょうか。祝福の「福」に「音」という漢字二文字の言葉は、「ふくいん」ではなくて、「ふくおん」と読まれたりすることが多かったりするのではないでしょうか。

 日本に福音がもたらされたのは戦国時代です。プロテスタント教会の宣教が始まってからも、150年以上になります。そう言えば、4月から始まった朝の連続テレビ小説、「エール」にも、教会が出てきました。時代は大正か昭和の初期でしょうか。小さいながらも、活気のある教会の姿が描かれていました。

 しかし、そうであるにもかかわらず、福音が、「ふくいん」ではなくて、「ふくおん」と読まれてしまう現実にぶつかる時、日本ではまだまだ福音が根づいていないんだなぁということを、改めて痛感させられます。

 今日はその福音について語るパウロの言葉に注目をしてみたいと思います。そして、その福音を、私たちにもたらしてくださった神様の御声に、耳を傾けたいと思います。

1.

 福音というのは何でしょうか。福音というのは、「良い知らせ」という意味の言葉です。聞けば、うれしくなるような知らせ、「よっしゃあ」と叫びたくなるような知らせです。

 私たちにとって、福音とは、良い知らせとは、どのようなものでしょうか。どのような知らせを聞いた時に、「よっしゃあ」と叫びながら、喜ぶでしょうか。

 世界中が新型コロナウィルスによって苦しめられている現在であれば、私たちにとって最もうれしい知らせの一つは、「ワクチンが開発された」、「薬が開発された」ということであるかも知れません。効果的なワクチンも薬もなくて、感染しないために、感染させないために、ただ離れて過ごすことしかできない現在の状況の中で、効果的なワクチンや薬が開発されたとなると、それは何よりも素晴らしい知らせであると言えるのではないでしょうか。世界中の人々に救いをもたらす喜びの知らせとなることは、間違いないと言えるでしょう。

 それでは、パウロは福音について何と言っているでしょうか。パウロは、神様の福音について、神様ご自身が、旧約聖書を通して、預言者たちを通して、あらかじめ約束されていたと言っています。そして、その約束された福音は、特別に「御子に関するもの」だと言っています。神様の福音といのは、御子、つまり神の子に関するものだということです。そして、その御子が主イエス・キリストだということです。あるいは、イエス様そのものが福音だと言ってもいいのかも知れません。

 それでは、イエス様が福音だというのは、どういうことなのでしょうか。どうして、イエス様が福音なのでしょうか。私たちに喜びをもたらす良い知らせなのでしょうか。

 パウロは、続けて、御子について、イエス様について、二つの説明をしています。一つ目は、「肉によればダビデの子孫から生まれ」ということです。

 「肉によれば」というのは、分かったような、分からないような表現ですが、どういうことでしょうか。それは、「私たちと同じ肉体を持った人間としては」ということです。イエス様は神の子でありながら、神様でありながら、同時に、私たちと同じ体を持った人間として、お生まれになったということです。イエス様は、神様でありながら、同時に、限りある体を持った人間として、新型コロナウィルスにも感染する体を持った人間として、お生まれになってくださいました。そして、それは、イエス様が大きな危険を冒して、まさに死を覚悟して、私たちの世界に来てくださったということを意味しています。もちろん、その理由は、私たちを愛してくださったからということに他なりません。

 新型コロナウィルスが猛威を振るう今、「神様がおられるのであれば、どうしてこんなことが」と思う人が、もしかしたら、いるかも知れません。

 しかし、私たちと同じ体を持った人間としてお生まれになったイエス様を見る時、神様はどのような方であることが分かるでしょうか。それは、苦しむ私たちと共にいてくださる方ということではないでしょうか。実際に、イエス様の生涯を記した新約聖書の福音書を見ると、イエス様は、疲れた人々、苦しむ人々、社会から見捨てられたような人々と共に歩まれた方であることが分かります。

 繰り返しになりますが、効果的なワクチンや薬が開発されたら、それは世界中の人々に救いをもたらす福音になるでしょう。

 確かに、ワクチンや薬の開発によって、感染予防や治療の道は開かれます。しかし、感染予防や治療の道が開かれたら、問題はそれで終わるのでしょうか。決してそんなことはないでしょう。

 新型コロナウィルスは私たちの社会全体にすでに大きな影響を与えています。経済は大きな打撃を受けています。学校の休校が長引く中で、子どもたちの学びはどうなるのでしょうか。世界中で虐待やDVの相談が急増していると言われています。人と人が自由に出会うこともできない状況が長引いていけば、人と人の関係は、空間的な距離だけではなくて、心の距離までが広がってしまうのではないかと心配されています。社会全体が、そして、その中に生きる私たち一人一人が、すでに傷を負っているということになるのかも知れません。

 ワクチンや薬の開発は必要なことです。効果的なワクチンや薬が開発されたという知らせは、私たちに喜びをもたらすでしょう。まさに福音です。

 しかし、だからと言って、そのワクチンや薬が新型コロナウィルスによって引き起こされた問題のすべてを解決してくれるわけではありません。ワクチンや薬が開発された後も、新型コロナウィルスによって引き起こされた問題のすべては、そのまま残るわけです。経済的なダメージ、夫婦や親子の間で起こった問題、差別や格差の問題、様々な問題が、そのまま残るわけです。私たちは、その残された問題と向き合いながら生きていかなければならないわけです。それは決して簡単なことではありません。

 しかし、イエス様は、その私たちと共にいてくださいます。イエス様は、傷つき倒れる私たち、未来に希望を見いだすことのできない私たちと、共にいてくださり、共に歩んでくださいます。そして、その共にいてくださるイエス様に気づく時、イエス様の存在は、私たちにとって、福音となるのではないでしょうか。喜びの知らせとなるのではないでしょうか。

2.

 パウロは、御子イエス様について、「聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方」と言っています。パウロは、イエス様が「力ある神の子として公に示された方」と言っていますが、それは、「死者の中からの復活」によるのだと言っています。イエス様が神の子であることは、死者の中からの復活によって明らかになったということです。イエス様は、最初から神の子だったわけですが、そのことが復活によって明らかにされたということです。

 イエス様は、私たちと同じ体を持った人間として、お生まれになってくださいました。私たちと共に生きるために、私たちの世界に来てくださいました。しかし、私たちの側でイエス様を受け入れることができませんでした。イエス様を受け入れることができなくて、十字架につけてしまいました。私たちと同じ体を持った人間として、お生まれになったイエス様は、私たちの手にかかって死なれました。

 しかし、パウロが言っていることは何でしょうか。それは、イエス様が死者の中から復活されたということです。復活によって、神の子であることが、神様であることが明らかにされたということです。

 イエス様は、ただ単に、私たちと共にいてくださるだけの方ではありません。ただ単に、私たちと共にいて、私たちを励ましてくださるだけの方ではありません。

 もちろん、共にいてくれる人がいるということ、寄り添ってくれる人がいるということ、それはとても幸いなことです。しかし、そのような人なら、私たちは与えられている人間関係の中でも見つけることができるかも知れません。

 イエス様は、死者の中から復活されました。イエス様は、ただ単に、約2000年前のユダヤの地に生きる人々と共にいてくださっただけではなくて、死者の中から復活されたということです。そして、それは、イエス様が死に対して完全な勝利を収められたということを意味しています。イエス様は、死に勝利する力を持った神様だということです。

 イエス様は、私たちが新型コロナウィルスに感染しないと約束してくださっているわけではありません。感染しても、すぐに癒やされる、決して死なないと約束してくださっているわけではありません。

 しかし、イエス様は、死に支配されない命、永遠の命を与えると約束していてくださいます。イエス様を救い主として信じて受け入れるすべての人々に、永遠の命を約束していてくださいます。それは、この世界をお造りになった真の神様でなければ、決して約束できないことです。真の神様だからこそ約束できることです。そして、だからこそ、イエス様は私たちにとって、福音だということです。他の誰にも約束することのできない、永遠の命の約束を与えてくださる神様だからこそ、イエス様は私たちにとって福音だということです。

 私たちにとっての福音とは何でしょうか。私たちを喜びに満たす福音とは何でしょうか。新型コロナウィルスのワクチンと薬でしょうか。あるいは、他の何かでしょうか。

 私たちを愛するが故に、私たちと同じ体を持った人間として、お生まれになってくださったイエス様のことを、福音として、信じて受け入れることができればと思います。死者の中からの復活によって、死に支配されることのない永遠の命を約束してくださっているイエス様のことを、福音として、信じて受け入れることができればと思います。そして、先行きの見えない状況の中にあっても、イエス様の故に、喜びに満たされることができればと思います。

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