礼拝説教から 2020年3月15日

  • 聖書箇所:創世記48章
  • 説教題:子どもたちを祝福してください

 すべてのわざわいから私を贖われた御使いが、↩ この子どもたちを祝福してくださいますように。↩ 私の名が先祖アブラハムとイサクの名とともに、↩ 彼らのうちに受け継がれますように。↩ また、彼らが地のただ中で↩ 豊かに増えますように。(創世記48章16節)

 ヤコブは、神様に呼びかけて、マナセとエフライムの祝福を願い求めました。「この子どもたちを祝福してくださいますように。」

 どうでしょうか。私は、死ぬ時に、孫たちのために、神様に祝福を願い求めることができるというのは、とても幸いなことだなぁということを思いました。

 ヤコブは、一族の長としての権威を持っていました。息子のヨセフも、孫のマナセやエフライムも、ヤコブに敬意を払っています。

 しかし、そのヤコブ本人を見ると、どうでしょうか。ヤコブは何も持ってはいませんでした。自分の所に来た孫たちに、何かを与えることもできませんでした。ヤコブが孫たちに残してあげることのできたものは、何もありませんでした。それは、もしかしたら、人間的には「ちょっと寂しい」ということになるのかも知れません。

 しかし、ヤコブは神様に子どもたちや孫たちの祝福を願い求めることができました。自分自身に祝福を与えてくださった神様に、同じ祝福の約束を受け継ぐことができました。神様と共に生きる祝福の約束を、子どもたちや孫たちに受け継ぐことができました。自分が死んだ後にはどうすることもできない子どもたちや孫たちの祝福を、神様に委ねて死んでいくことができました。右も左も分からない自分を最後の最後まで羊飼いのように導いてくださった神様に、子どもたちや孫たちの祝福を委ねて死んでいくことができました。そして、このことは、自分自身が何かを残してあげるよりも、はるかに素晴らしいことなのではないかということを思います。

 私たちもいつかはこの世を去る時が来ます。そして、その時に、私たちは子どもたちや孫たちに、何を残してあげることができるでしょうか。あるいは、何を残してあげることができないでしょうか。

 私たちが残してあげるものは、いつかはなくなるものです。しかし、私たちと共にいてくださる神様の祝福は、決してなくなることがありません。神様は、私たちに対してと同じように、子どもたちや孫たちのことも、決して諦めることなく、決して見捨てることなく、最後の最後まで導いてくださいます。そして、大切なことは、その神様と共に生きる祝福の約束を、子どもたちや孫たちに固く握らせることではないでしょうか。決して無効になることのない神様の祝福は、子どもたちや孫たちの人生を支えるものになるでしょう。

 私たちの各家庭や教会にも、子どもたちや孫たちが与えられていることを感謝します。そして、その大切な子どもたちや孫たちの一人一人を覚えながら、神様の祝福を願い求め続けていきたいと思います。

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