礼拝説教から 2020年3月8日

  • 聖書箇所:創世記47章
  • 説教題:ファラオを祝福するヤコブ

 それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオを祝福した。(創世記47章)

 カナンの地からエジプトに来たヤコブの一行は、ヨセフの取り計らいで、ゴシェンの地に住むことが許されました。そして、ヨセフは特別に父親のヤコブをファラオの所に連れて行きました。ヤコブは、ファラオを祝福しました。

 ファラオは世界的な大国であるエジプトの王様です。巨大なピラミッドやスフィンクスを造らせることができるような、ものすごい権力を持った王様です。

 そのファラオに対して、ヤコブはどうでしょうか。確かに息子のヨセフはファラオの下でエジプト全土の指導者になりました。しかし、ヤコブ本人は小さな家族の年老いた家長に過ぎません。世界一の権力者であるファラオからすれば、目にも留まらない小さな人物、それがヤコブでした。その小さなヤコブが大きなファラオを祝福したわけです。

 一般的にはどうなのでしょうか。やはり上の者が下の者を祝福するということになるのではないでしょうか。創世記を振り返ってみても、ヤコブの祖父であるアブラハムが、メルキゼデクという祭司から祝福を受けた場面があります。そして、アブラハムがメルキゼデクから祝福を受けた出来事について、新約聖書のヘブル人への手紙の中では、「言うまでもなく、より劣った者が、より優れた者から祝福を受けるものです」と解説されています。祝福は上の者が下の者に与えるものだということです。そうであるにもかかわらず、ヤコブはファラオを祝福しました。小さなヤコブが大きなファラオを祝福しました。

 神様は、全世界の人々がご自分と共に生きる祝福に与ることを願っておられます。そして、そのために、神様は、アブラハム、イサク、ヤコブを選ばれました。当時の有名な人ではなく、取るに足らないアブラハムと、その子どものイサク、孫のヤコブを選ばれました。彼らは、神様の祝福を受けると共に、全世界の人々に対して祝福の源になる使命を受け取りました。ヤコブは、その神様の使命に基づいて、ファラオを祝福したと言えるでしょう。

 私たちがキリスト者であるというのは、どういうことでしょうか。その一つは、私たちもまた、全世界の人々に対して祝福の源になる使命を神様からいただいているということではないでしょうか。ファラオを祝福したヤコブのように、私たちもまた、人々の中で祝福の源になる使命を神様からいただいているということです。神様は、全世界の人々がご自分と共に生きる祝福を受け取ってほしいと願っていてくださり、その祝福の源になる使命を私たち一人一人に委ねてくださっているということです。

 それでは、私たちがキリスト者として、祝福の源になるというのはどういうことでしょうか。それは、私たちが立派な者になることではありません。何かを成し遂げて、社会的に認められた者になることではありません。道徳的に優れた人間になることでもありません。そして、立派な者であるからこそ、神様のことを証しすることができるということではありません。そうではなくて、祝福の源になるというのは、神様と共に生きる祝福を喜んで生きることそのものと言ってもいいのではないでしょうか。神様と共に生きる祝福、神様に愛されて支えられて生きることのできる祝福を喜ぶことそのものと言ってもいいのではないでしょうか。そして、神様ご自身を喜ぶ私たちの歩みそのものから、神様と共に生きる祝福の素晴らしさは伝わっていくのではないでしょうか。大切なことは、何よりも、神様ご自身を喜ぶことそのものだということです。

 私たちはどうでしょうか。神様と共に生きる祝福の素晴らしさを味わい喜んでいるでしょうか。そして、祝福の源となっているでしょうか。家庭の中で、職場や学校の中で、地域社会の中で、祝福の源となっているでしょうか。もしかしたら、自分よりも立派に見える人々の中で、逆に縮こまってしまっているということはないでしょうか。

 神様は、小さいままの私たちと共にいてくださいます。社会的に認められていようがいまいが、自分で自分を認めることができようができまいが、神様はいつも私たちと共にいてくださいます。ご自分に支えられて生きることを願う私たちを、そのままに受け入れていてくださいます。そして、私たちが神様と共に生きることのできる祝福の素晴らしさを喜び味わう時、神様は私たちを祝福の源として大いに用いていてくださいます。

 主イエス様の十字架の死と復活の業を通して、私たちは神様のものとされました。私たちが神様のものとされている、この祝福を受け取りながら、いつも喜びに満たされたいと思います。そして、神様のものとされている祝福を味わい喜ぶ私たちが、祝福の源として大いに用いられることを心から願います。

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