礼拝説教から 2020年2月2日

  • 聖書箇所:創世記42章
  • 説教題:私も神を恐れる者だから

 ヨセフは三日目に彼らに言った。「次のようにして生き延びよ。私も神を恐れる者だから。(創世記42章18節)

 ヨセフは、ファラオの夢の中で示された世界的な規模の大飢饉に備えて、豊作の間に穀物を蓄えました。そして、その飢饉が始まると、たくさんの人々が世界各地からヨセフの所に穀物を買いに来ました。その中には、カナンの地に住むヤコブの十人の息子たち、ヨセフの兄たちの姿もありました。ヨセフは自分の前にひれ伏す人々がすぐに兄たちだと分かりましたが、兄たちの方ではヨセフのことに気づきません。そんな中、ヨセフは自分の正体を明かさないまま、兄たちに回し者の疑いをかけました。そして、「神を恐れる者」として、兄たちに生き延びる道を示しました。それは、兄弟の中の一人が人質としてエジプトに残り、残りの者が「末の弟」であるベニヤミンを連れて来ることでした。兄たちは、ベニヤミンを連れて来ることによって、自分たちが正直者であることを証明しなければならなくなったということです。それが兄たちの生き延びる道でした。

 ヨセフは兄たちに生き延びる道を示しました。そして、その理由として、「私も神を恐れる者だから」ということを言っています。ヨセフは、他でもなく、自分が神様を恐れる者であるが故に、生き延びる道を示しているということです。

 神様を恐れるというのは、どういうことでしょうか。ヨセフの言葉から分かることの一つは、神様を恐れるということが、人を生かすことにつながっているということではないでしょうか。神様を恐れるというのは、むやみに人を傷つけることにつながるのではなくて、人の命を守り生かすことにつながるということではないでしょうか。そして、このことは、恐れる対象である神様ご自身が、誰よりも人の命を大切にする方であるということを示していると言えるでしょう。神様は、誰よりも私たちの命を大切にしてくださっている方であり、私たちの命が生かされるために、ご自分の命を犠牲にされた方だということです。そして、その神様を恐れる時、神様を愛して神様の御心に生かされる時、私たちは互いに傷つけ合う方向ではなくて、互いに愛し合い生かし合う方向へ導かれていくということです。逆に言うと、私たちが、どのような理由であれ、互いに傷つけ合うようなことをしているとするなら、それは、私たちが神様を恐れていないということになるのかも知れません。

 一ヶ所だけ、新約聖書の福音書に記されたイエス様の言葉を見ておきたいと思います。ヨハネの福音書13章34-35節です。<わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」> 真の神であり真の人であるイエス様は、弟子たちを愛されました。そして、その弟子たちに、互いに愛し合うことを命じられました。

 吉田隆先生の『キリスト教の“はじまり”』という本を見ると、古代教会は「命を大切にした」ということが分かります。

 <悲しいことですが、古代ローマ社会では、赤ん坊の中絶や間引きが頻繁に行われました。いらない子どもは皆、簡単に捨てられました。特に女の子はそうです。文字どおりドブに捨てられたようです。そうした悲しい遺骸が、古代ローマの遺跡からはたくさん出てくるそうです。

 そのような中で、キリストの教会は、たとい不要とされた赤ちゃんでも(それが女の子であれ男の子であれ)皆、神さまからの命として大事にしました。低年齢で出産した女性たち自身も教会で守られる。離婚されても、教会がその女性たちや子どもたちを保護する。

 こうして、キリスト教徒の集団では、古代ローマ帝国における他のどの集団にもまして、命が大切にされたのです。その結果、教会にはたくさんの女性や子どもたちがあふれました。教会は、まるで一つの家族のように成長していったのです。> 

 どのような命であれ、大切にされなければならないのは当然です。しかし、その当然のことが、当然のこととされていない、それが私たちの現実ということになるのかも知れません。ローマ帝国の時代も、現在の私たちも時代も、それほど変わらない現実であるのかも知れません。そして、そのような現実の中で、イエス様は、弟子である私たちが、互いに愛し合って、その命を大切にすることを願っておられます。

 現在の教会に集められた私たち一人一人が、イエス様から命をいただいた私たち一人一人が、イエス様の弟子とされている私たち一人一人が、神様を恐れる中で、互いに愛し合うことができればと思います。神様が私たちの命を大切にしてくださっていることを覚えながら、自分の命、互いの命を大切にすることができればと思います。

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