礼拝説教から 2019年4月7日

聖書箇所:創世記8章15節-9章17
新しい歩みの始まり

 主は、その芳ばしい香りをかがれた。そして、心の中で主はこう言われた。「わたしは、決して再び人のゆえに、大地にのろいをもたらしはしない。人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ。わたしは、再び、わたしがしたように、生き物すべてを打ち滅ぼすことは決してしない。(創世記8章21節)

 大洪水の後、箱舟から出たノアはまず祭壇を築いて、神様に全焼のささげ物を献げました。そして、その芳ばしい香りをかがれた神様は言われました。「わたしは、決して再び人のゆえに、大地にのろいをもたらしはしない。」

 神様は大洪水によって、大地にさばきをもたらされました。それは、いつも心の中で悪いことばかりを考えている人々のゆえでした。神様は、いつも心の中で悪いことばかりを考えている人々を見て、大洪水のさばきをもたらされたのでした。

 しかし、その神様が、「決して再び人のゆえに、大地にのろいをもたらしはしない」と言われたのでした。そして、その理由として、神様は「人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ」ということを言われました。神様は、人々が十分に反省をするだろうからということではなくて、その反対に、人々が初めから心の中で悪いことばかりを考えているがために、二度と大地に呪いをもたらすようなことをしないと決意されたということです。

 ノアとその家族、そしてすべての生き物は、大洪水のさばきを経て、新しい歩みをスタートさせました。しかし、その新しい歩みの始まりに、神様が心の中で言われたことばから分かることは、何でしょうか。そのことの一つは、大洪水の前も、大洪水の後も、人間の本質が何も変わっていないということです。幼い頃から悪いことばかり考える人間の本質は、大洪水のさばきによっては、何ら変わっていないということです。

 そして、神様はその人間の本質をしっかりと見つめながら、その人間のゆえに、大地を呪うようなことを、決してしないと誓われたのでした。

 どういうことでしょうか。それは、神様が人間の悪と妥協されたということではありません。人間の罪を大目に見てくださるようになったということではありません。そうではなくて、それは、神様が罪人の人間を愛し、諦めることなく関わり続けていく決意を、改めて示してくださったということではないでしょうか。ご自分を否定し、ご自分から離れて生きる私たちの罪を背負って、その私たちとともに生きる願いを、改めて示してくださったということではないでしょうか。神様はいつも私たちを待っていてくださるということです。ご自分の下に帰って来ることを待っていてくださるということです。

 神様は、ご自分の決意を、契約という形で示してくださいました。神様は、ノアと、後の子孫との間で、そしてあらゆる生き物との間で、大洪水によって大地を滅ぼすようなことをしないと約束してくださったのでした。契約を立てて、私たちにも分かる形で約束してくださったのでした。

 そして、その契約のしるしが虹でした。神様は、雲の中に現れる虹を見て契約を思い出し、大洪水によって大地が滅ぼされないことを約束してくださったのでした。

 現在の私たちが雲の中に立てられた虹を見る時、同時に、この世界が滅ぼされることなく、守られているのを見る時、私たちは神様がご自分の立てた契約を忠実に守っていてくださることを、確認することができます。私たちの忠実さによってではなく、神様ご自身の忠実さによって、この世界と私たちが守られ、支えられていることを確認することができます。罪人の私たちがご自分の下に帰ってくることを待っていてくださる神様のあわれみを知ることができます。

 時に、虹のかかることがありますが、この虹を見ながら、確かな神様の約束によって、この世界と私たちが守られていることを覚えたいと思います。神様のあわれみによって、守られていることを覚えたいと思います。

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