礼拝説教から 2019年3月24日

 

聖書箇所:創世記6章1節-7章5節
説教題:洪水前

 ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った(創世記6章22節)

 ノアの時代、人々の心はいつも悪に傾いていました。「善悪の知識の木の実」を食べたアダムの子孫たちは、善と悪を区別しながら、悪を退けて、善を行うようになったのではありませんでした。むしろ、その反対に、人々の心はいつも悪に傾くようになっていました。神様はそんな人々の姿を見て、心を痛めながら、厳しいさばきを宣告されました。それがノアの時代に起こった大洪水でした。

 しかし、そのような時代の中で、神様とともに歩んでいたノアは、神様から箱舟造りを命じられました。それは、ノアとその家族、あらゆる種類の生き物が生き残るためでした。

 箱舟は、長さが135メートル、幅が22、5メートル、高さが13、5メートルほどにもなるものでした。現在の私たちの感覚から言っても、とても大きな船だと言えるでしょう。科学技術などはなかった時代であり、箱舟造りに携わるのがノアとその家族だけだったことを考えると、神様はノアにとてつもない命令をされたと言わざるを得ません。ノアは神様からとんでもない命令を受けたのでした。

 ノアはどうしたでしょうか。ノアは、神様が命じられたことを、すべてその通りに行いました。言い訳をしたのでもなく、弱音を吐いたのでもなく、文句を言ったのでもありませんでした。ただ、神様が命じられた通りのことを行ったのでした。

 後にイエス様がノアの時代の大洪水について触れられたことばを見ると、ノアが神様のことばにそのまま従ったのは、決して簡単なことではなかったことを想像します。

 マタイの福音書24章38節には、<洪水前の日々にはノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。>とあります。創世記6章には、特に何も記されていませんが、イエス様のことばから判断すると、人々は洪水が起こるその時まで、「食べたり飲んだり、めとったり嫁いだり」していたということになりそうです。つまり、人々は普段と何ら変わらない生活をしていたのでした。大雨が降り続いて、大洪水に襲われるなどということは、想像もしていなかったようです。

 そんな人々の目に、黙々と箱舟造りに励むノアの姿は、どのように映ったでしょうか。人々はノアのことを理解することができなかったのではないでしょうか。ノアは気が変になってしまったと思われていたのではないでしょうか。

 そして、そんな中で、ノアは神様のことばに従って、箱舟を造り続けたのでした。馬鹿にされたりもしたでしょうか。仲間外れにされるようなこともあったでしょうか。しかし、ノアは黙々と箱舟を造り続けたのでした。途方もない時間をかけて、箱舟を造り続けたのでした。神様のことばを信じて、箱舟を造り続けたのでした。

 私たちは、神様から大きな箱舟を造るようにと、命じられているわけではありません。晴れの日が続く中で、人々に冷やかされたりしながら、大きな箱舟を造らなければならないというようなことはないでしょう。

 しかし、私たちが神様を信じて歩む中で、周りの人々から理解されなかったり、馬鹿にされたり、何らかの迫害を受けたりすることは、ノアと似ている所があると言えるのではないでしょうか。ノアが周りの人々から馬鹿にされたりしながら、神様のことばを信じて、箱舟を造り続けたように、私たちもまた、周りの人々から理解されなかったり、馬鹿にされたり、時に迫害を受けたりしながら、信仰生活をしているということです。

 弱い私たちは、ふらふらしてしまうことがあるかも知れません。周りの人々の目やことばを気にしながら、ふらふらしてしまうことがあるかも知れません。

 神様はそんな弱い私たちを支えていてくださいます。そして、だからこそと言えるでしょうか。神様は私たちを毎週の礼拝に招いていてくださいます。毎週の礼拝の中で、ご自分のことばが真実であることを、十字架の愛が決して変わらないものであることを、教えていてくださいます。

 毎週の礼拝の中で、全世界をお造りなった神様が、私たちをもお造りになった方であり、私たちを愛し、導いていてくださることを覚えたいと思います。そうして、その神様ご自身に支えられて、一週間の歩みへと遣わされていきたいと思います。

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