礼拝説教から 2017年9月24日

2017年9月24日
マルコの福音書5章21-43節
信仰があなたを直した
 そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」(マルコの福音書5章34節)
 イエス様は「十二年の間長血をわずらっている」女性に対して、「あなたの信仰があなたを直した」と言われました。長血の女性の信仰とは、どのようなものだったのでしょうか。
 女性の抱えている長血という病気は、どこの誰にも直すことができませんでした。たくさんの「医者」に診てもらったようですが、治療の効果はなく、状態はかえって悪くなる一方で、持ち物もなくなってしまいました。
 そんな長血の女性に吉報がもたらされました。イエス様です。長血の女性は、イエス様の「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考えていました。それは強い確信だったと言えるのではないでしょうか。
 そして、実際に後ろからそっとイエス様の着物に触った時、すぐに出血が止まり、ひどい痛みがなくなりました。
 しかし、その一方で、長血の女性はイエス様のことをよく知りませんでした。せいぜい、どんな病気でも直すことのできる方、ものすごい奇蹟を起こすことのできる方ぐらいにしか、思っていなかったかも知れません。
 長血の女性は、イエス様が単に自分の病気を直してくださるだけでなく、「汚れている」とされて、社会から疎外されている自分の痛みや苦しみ、その状況そのものを、そのまま丸ごと受け止めて、そこから救い出してくださる方であることを、知らなかったのであり、信じていませんでした。だからこそ、長血によって「汚れている」と見なされ、人との交わりを持つことのできない自分の立場をわきまえて、人込みに紛れ込んで、誰にも自分のことが分からないように、後ろからそっと着物にさわるような形でしか、イエス様の救いに与ることができなかったのです。そして、そのまま立ち去るつもりでいたのです。
 長血の女性の信仰というのは、イエス様の力に対する強い確信がある一方で、あくまでも自分の問題を解決するために、イエス様を利用するという水準に止まるものでした。それは未熟で自分本位な信仰でした。
 しかし、その「信仰」が「あなたを直した」のだと、イエス様は言ってくださいました。未熟で自分本位な信仰を「信仰」として受け止めてくださったのです。そうして、新しい人生へと送り出してくださいました。そこには、「安心」と「すこやかさ」がありました。
 「あなたの信仰があなたを直した」、イエス様のこのことばは、長血の女性の信仰が、イエス様の救いを導き出すに値する素晴らしいものだったということを意味しているのではないでしょう。むしろ、未熟で自分本位な信仰を、信仰として受け止め、まったき救いへと導いてくださったイエス様の一方的なあわれみを示していると言えるのではないでしょうか。

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