礼拝説教から 2017年9月10日

2017年9月10日
マルコの福音書5章1-20節
ゲラサ人の救い
 豚を飼っていた者たちは逃げ出して、町や村々でこの事を告げ知らせた。人々は何事が起こったのかと見にやって来た。そして、イエスのところに来て、悪霊につかれている人、すなわちレギオンを宿していた人が、着物を着て、正気に返ってすわっているのを見て、恐ろしくなった。(マルコの福音書5章14-15節)
  一人のゲラサ人が「汚れた霊」の支配から解放される出来事は、「汚れた霊」に乗り移られた二千匹ほどの豚が湖になだれ落ちておぼれ死ぬという不思議な事件の中で、起こりました。一人のゲラサ人が「汚れた霊」の支配から解放されるためには、二千匹の豚というものすごく大きな犠牲が必要だったということです。
 二千匹の豚のいのち、それはとてもつなもく大きな犠牲です。しかし、私たちが「汚れた霊」の支配から解放されるために、罪と死の支配から解放されるために、神様が払ってくださった犠牲はどれほどのものだったでしょうか。それは、二千匹の豚よりもはるかに大きな犠牲でした。神様は御子であるイエス様のいのちという犠牲を払ってくださいました。かけがえのない御子イエス様のいのちを犠牲にしてくださったのです。そうして私たちが「汚れた霊」の支配、罪と死の支配から解放される道を開いてくださったのです。
 私たちが毎週日曜日に礼拝の場にいることができる、神様を礼拝することができる、その背後には、とてつもない犠牲があったことを、いつも覚えていたいと思います。御子イエス様の十字架の犠牲があったことを覚えていたいと思います。

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