礼拝説教から 2017年9月3日

2017年9月3日
マルコの福音書4章35-41節
嵐を静めるイエス様
 彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」(マルコの福音書4章41)
  イエス様に弟子として招かれた十二人は、イエス様とともに旅をする中で、イエス様について、それなりに分かったつもりになっていたのではないかと思います。しかし、「向こう岸」へと出発し、「突風」に襲われて、舟が沈没する危機にさらされる中、一言で風や湖を従わせるイエス様を目の当たりにした時、弟子たちは、それまで分かったつもりになっていたイエス様のことが、分からなくなりました。「いったいこの方はどういう方なのだろう。」十二弟子たちは、イエス様がすごい方だとは分かっていても、まさかたったの一言で、風や湖を静めてしまわれるとは、想像すらしていなかったのです。
 私たちはイエス様のことを分かりきることができません。むしろ分かりきることのできないイエス様に出会い続けることが信仰生活なのではないかと思います。人間的な常識の中で理解しようとするのではなく、また信仰生活が積み重ねられる中で形作られた固定観念に当てはめようとするのではなく、イエス様ご自身が示し教えてくださるとおりに、受け止め続けていく時、私たちは「いったいこの方はどういう方なのだろう」という問いを持たざるを得ないのです。そして、分かりきることはできないけれども、イエス様が神の子であり、救い主であり、私たちを愛して十字架にかかってくださったことを信じて、イエス様に従っていくのです。
 日々、イエス様の十字架の前で、イエス様の愛の広さ深さに驚かされながら、信仰が新たにされ続けていくことができればと思います。