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受難週 聖土曜日

そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。(ヘブル人への手紙2章14〜15節)

受難週のうち、土曜日は、イエス様が墓に葬られてから日曜日の朝によみがえるまでの期間ですので、もっとも静かな時間ということができるでしょう。この時、祭司長たちとパリサイ人たちは、イエス様の弟子たちがイエス様の遺体を盗み出して復活を吹聴せぬようにと画策します(マタイ27:62〜66)。同時に、イエス様が黄泉に降った日であり(Ⅰペテロ3:19)、東方教会ではキリストの復活の先取りとして祝うそうです。上記のヘブル書の言葉によりますと、イエス様は十字架の死によって、「悪魔という、死の力を持つ者」を滅ぼされました。先進国日本で生まれ育った私たちにとって、「死の恐怖」という実感はあまりないように思います。しかし、いざコロナウィルスだの、戦争だのという噂を聞くと、その実感が湧いてきて生に執着する思いが湧くものです。けれども、考えてみれば、人はいつか生の終わりを迎えます。それゆえ、「死の恐怖」はすぐそばにいるお隣さんなのです。しかし、幸いなことに、クリスチャンには、この「死の力」を滅ぼされたお方がお隣さんになってくれたのです。「死の恐怖」からの解放の秘訣は、ただ一つ。イエス様に心の目を向けることです。

Published in牧師のつぶやき

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