〔使者〕
2014年5月4日(日)
「あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。」(マタイ10:40~42から)
このように使者の思いは最終的に自分の道、自分の苦難や報いに向けられるのではなく、自分の働きの目標、すなわち自分を受け入れた人々の群れの救いにのみ向けられるのである。
ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、222頁f。
これは自己犠牲的な言葉ではありますが、使者の働きの祝福のために欠かすことできないポイントではないかと思います。「自分の道、自分の苦難や報い」に思いが向かっているときは、平安のない奉仕となります。しかし「自分を受け入れた人々の群れの救い」に思いが向けられているときに、平安な奉仕が続けられていきます。
そして「自分を受け入れた人々の群れの救い」は不確定なものではなく、神さまの約束の中にある確かなものですから、そこには確かな喜びを見いだすことができるのです。
(祈り)
神さま、自分の道ではなく、自分を受け入れた人々に与えられる確かな救いに思いを向けることができるように導いてください。