静まりの時
- テーマ:主に仕える人
- 聖書箇所:第2列王記2・6~14
- 日付:2026年09月05日(土)
預言者エリヤにも地上での働きに終わりがやって来ます。しかし主の働きは続きます。それを引き受けたのがエリシャでした。交代の時がやってきました。
エリヤは自分の働きの終わりの時をわきまえていました。しかしエリヤの奉仕を引き継ぐエリシャの方はエリヤから離れることができません。神さまは無理やりにエリヤを引き上げてしまわれました。
11 こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、火の戦車と火の馬が現れ、この二人の間を分け隔て、エリヤは竜巻に乗って天へ上って行った。
エリヤがその外套で水を分けるという象徴的な奇跡を行いました。これはイスラエルにとっては国家レベルの歴史的出来事である出エジプトを思い起こさせます。同じことをエリシャは行いました。それを遠くから預言者の仲間たちが見ていました。こうしてエリシャの時代がはじまりました。(預言者の仲間たちです。このころ、預言者は預言者群としてイスラエルに奉仕していました。)
教会の働きは人の生涯を超えて継続されるものです。働き人は役割りをいただいて奉仕をしているのですから、教会を私物化してはいけませんが、その先生がおられなくなれば、教勢が下がるということでは教会は私物化されていたといわざるを得ません。牧師のカリスマみたいなものに魅せられて教会に集っているということは多少は許容されることではありますが、それだけでは、キリスト教信仰ではなく、先生教です。よって働き人がわきまえていなければならないのは、決して自分教を作らないことです。交代の時を見極めて、その時が来れば潔く去ることが、奉仕者の務めのひとつです。そして去った後は、一切かかわらないことが肝要です。もちろん信徒としてかかわることには大切な意味がありますが、奉仕者然としてかかわってはいけないとお思います。