私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。(黙示録1・12)

  • 答えを見いだしうる問い

    〔わが魂はあなたを慕いあえぐ〕

    2014年5月23日(金)

    「わたしはわが岩なる神に言う、『なにゆえわたしをお忘れになりましたか。なにゆえわたしは敵にしいたげられ、悲しみ歩くのですか』と。」(詩篇42:9)

    「なにゆえわたしをお忘れになりましたか」。-いかなるキリスト者も一度は、この問いを口にしたことがあるであろう。・・・
    しかしその時、この問いを誰に向かって発するかが重要な問題となる。暗黒の運命に向かってではなく、わが岩なる神に、わが生が置かれている永遠の土台である神に向かって問うがよい。私は懐疑に落ちこむが、神は常に岩のように堅い。私は動揺するが、神は揺るがない。私は不真実になるが、神は、わが岩なる神は、常に真実である。

    ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
    村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、254頁f。

    聖書の神さまは「暗黒の運命」ではありません。人格をお持ちの生けるまことの神さまであり、問いかける者に答えることのできる神さまです。
    私たちが、懐疑、動揺、不真実の中にあっても、この神さまは、岩のように堅く、揺るがず、ご真実なお方です。

    神さまを信じるということは、このようなご真実なお方に問いかけることができるということです。そして私の問いかけに、十字架と復活の愛をもって答えてくださる神さまと共に歩むということです。

    この世では様々な試練にあいますが、このような神さまと共に歩むならば、何があっても大丈夫です。
    みずからが「敵にしいたげられ、悲しみ歩く」ようなことであっても、大丈夫です。非難や中傷、あることないことでの悪口、雑言が投げかけられても、大丈夫です。
    神さまが共にいてくださるのですから。

    (祈り)
    神さま、きょうもあなたに問いかけながら生きてまいります。どうぞあなたの祝福のみ手をもって導いてください。