〔教会の基礎づくりとしての復活の福音〕
2015年4月17日(金)コリントの人びとに認識の妨げとなる面倒なことは、コリントでは事柄の妨げとなる注意がパウロの「人柄」に向けられているという事実であります。人びとはパウロの特別な者として、一派の頭領として、特徴ある使徒として敬ったり反駁したりします、そうすることでパウロが代表し言うことを、実際に重要である事柄から切り離すのです。
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私の生は他の人びとの生よりも労多きものとなった、私はさらに辛い苦境に陥ったが、その一切が恵みである。私がではない! 私は何も求めないし、何者でもない。私が生きているのはただ恵みからです。
だが私が恵みを受けて行うこと、私はそれをなさなければならず、人びとはそのように私を遇さなければなりません。従って私と他の人びととの間にある一切の区別は何の価値もありません。人びともただ恵みから、今あるものでありうるのです。彼らも復活された方と復活だけを宣べ伝えることができます。あなたがたは彼らの言うことを、あるいは私の言うことを聞いてください! ともかく聞いてください! 一つの福音だけがあります、一つの基盤があります、その上に私たちが立ち、あなたがたが私たちと共に立つ基盤が。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、223ff。
目に見える部分には違いがあります。しかしすべての人は同じ基盤の上に立っています。それはみな死ぬものであるということです。
しかしまた一つの福音、一つの基盤があります。それは復活です。
人生はそこにおいて真価がはかられるのです。
(祈り)
神さま、復活の希望に生かされていることを感謝します。
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