めぐみのパンくず

もし、あなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなた方は今『私たちは見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。”                ヨハネ9:41

◎イエスさまに目を開かれた人は、イエスさまを弁護したゆえに、追い出される結果になりました。イエスさまはイエスさまのために真実を語る者を放っておかれる方ではありません。お会いになり語られます。「あなたは人の子を信じますか。」と、神であられるお方が、人となって来たことを信じるのか、長く待ち望んでいたメシヤの到来を今信じるかとたずねられるのです。その人は信じたい強い気持ちを現します。イエスさまはその人にはっきりとご自分が救い主であられることを語られました。「主よ。私は信じます。」麗しい信仰告白です。存在をかけた信仰告白ですね。

VS39はイエスさまの宣言です。救い主として来られたお方はさばき主としても来られたお方です。その裁きの内容とは「見えないものが見えるようになり、見えないものが見えるようになる」というものです。イエスさまは盲人の眼を開いて後、このメッセージを語っていますが、それは霊の眼を(心の眼も踏まえて)開きに来られたことをあらわしています。どんなにこの地上で碩学を積んでも、修行しても開かれない世界をイエスさまは開いて下さることのできるただおひとりの救い主なのです。

◎反対に見えるものを見えないようにするとも言われました。人間は肉眼で見えるものだけを中心に、自分の心の状況(知識、経験)と合わせて、見えている~わかっていると思うものなのです。自己中心で見つめる世界です。凝り固まった世界と言ってもよいでしょうか。しかしそんな人たちに決定的に見えない世界が訪れます。神さまのご支配、霊的な世界がまったく閉ざされる。パリサイ人は大切なこのことに盲目だったのです。

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